○ICTを活用した先導的な教育の実証研究に関する協議会
2011年11月14日に行なわれた総務省と文部科学省による連携会議「ICTを活用した先導的な教育の実証研究に関する協議会」を傍聴しました。
特に目新しい情報もなく、委員の発言は両省の研究会や協議会ですでに発言されたことを繰り返しただけに終わりました。
両省の副大臣や政務官が出席してはいたものの,大局的な発言に終始しており、実証校における取り組みをどのようにバックアップしていくのかといった具体的な内容については,ほとんど発言がなかったのは大変残念です。
来年度は中学校と特別支援学校が加わり、ますます混沌となるのではないかと不安を抱いて帰ってきました。
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○Su-Pen
iPadのようなデバイスは指を使った操作方法を中心に開発されています。しかし,文字を書く場合、やはりペンのような道具を使うのが一番楽です。
これまでもiPad等のデバイス向けスタイラスペンが様々発売されてきました。当初は種類も少なく、また品質も必ずしも良くありませんでしたが,最近ではかなり改良された製品も登場し、iPad向けスタイライペンも実用的になってきました。
ただ,改良されてきたとはいえ、これまでの製品の多くはペン先にゴムを使用しているため、ペン先の滑りに関して問題を抱えています。つまり,ゴムのため滑りが鈍くなるのです。
購入当初はゴムの表面に特殊なコーティングを施して、かなり使い心地の良いスタイラスペンでも,数ヶ月以上の長期使用をしている過程でコーティングが剝げ、本来のゴム表面が現われて摩擦で滑りが鈍るのです。
そんな構造的問題を解決するには,ゴムではなく静電繊維を使ったスタイラスペンを選ぶ方法があります。
実は,そんな方式を採用したスタイラスペンが「Su-Pen」です。
いや,これは素晴らしい出来です。ゴムの問題点を解決している上に,Su-Penは書き味にこだわった造りになっているので,さらに満足感が高いです。
スタイラスペンを実用的に使いたいと考えているなら,これは試してみる価値ありです。iPadを導入している学校現場で導入できるといいなぁと思います。筆記具は教育現場にとって大事なツールの一つなのですから。
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○『学習情報研究』2011月11月号
特集「情報端末とデジタル教科書」にお呼ばれをして,原稿を一本書きました。「デジタル教材・教科書デザイン」というお題です。内容は以前のブログでも何となくご紹介したあれです。
でき上がった冊子をぱらぱらめくってみたら、自分の原稿のページがやたら文字ばっかりで浮いていることに気がつきました。
書くときはたくさん書き綴りたくなる質なので、限られた紙面で消化不良を起こしているのはご覧の通り。書き散らかし後が恥ずかしいなぁと思いつつ、まあ,なかなか面白い試みが出来たなということで,ちょっと達成感。
まあ,この界隈の隠れキャラとしては,珍しい表舞台仕事です。
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徒然日記 20111112
○フューチャースクール推進事業&学びのイノベーション事業
・担当している実証校の公開授業は終わりましたが,あちこちの実証校で公開授業をしています。11月25日は再び北海道に飛び,石狩市立紅南小学校の公開授業を拝見させていただくことにしました。以前からお誘いいただいたこともあります。
・11月14日は「ICTを活用した先導的な教育の実証研究に関する協議会」が開催されます。総務省と文部科学省の連携における初の会合です。あれだけの数の構成員ですから,短時間の会議で出来ることは限られていると思いますが注視したいと思います。
・いつも「フューチャースクール推進事業」「学びのイノベーション事業」と書くのは長くて大変なので略称を使いたいのですが、正式には決まっていません。関係者の中では「FS(エフ・エス)」とか「フューチャー」,「イノベ」という呼び名が通っていますが、書き言葉としては使えません。それで勝手に「FS推進事業」と「LI事業」という風に書いています。前者はともかく,後者は「Learning Innovation」と勝手な訳語の頭文字を取っただけなので,関係者にもよく分からなくなっていますが… 誰か何とかしてください! ^_^;
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○Android 4.0
・少し前にAndroid4.0(Ice Cream Sandwitch)がリリースされました。これまでの課題や問題を払拭する新たなAndroid標準として期待されています。教育分野に入るタブレット端末のプラットフォームとしても可能性が注目されます。
・しかしAndroidは,開発環境としては興味深いのですが、標準プラットフォームとしては問題が残るように受け止めています。依然としてウイルス対策ソフトが必要だということも悩ましい点です。そうした問題を感じずに済む端末パッケージが登場することを期待したいところです。
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○Mobile Flash Player
・とうとうAdobe社がFlashについて後退する発表をしました。モバイル機器へのFlash Playerから撤退するそうです。今後はPC用に注力するとのこと。
・Windows版やMac OS X版は継続するといった安心材料を用意した発表でしたが、Adobe自身がHTML5への投資を増やしてそのためのツールも提供する覚悟ですから、いずれ同じようにFlashそのものの終焉を発表する時期も来るでしょう。
・HTML5に移行すれば未来永劫安心というわけではありませんし,Flashに出来てHTML5に出来ないことは依然としてあります。しかし,しばらくはHTML5を中心とした動きをフォローしたほうが得策だと思います。
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○学習環境のスクリーン戦略
・FS推進事業の実証校や,ICT活用を推進している学校の教室では,従来の黒板以外に地デジテレビあるいは電子黒板の2スクリーンか,すべてを用意している3スクリーン状態になっています。その使い分けが課題になっています。
・児童生徒の机の上は,教科書とノートという2スクリーン(ウインドウ?)がベースとなって,さらにワークブックやプリントなどが必要に応じて複数展開しています。そう考えると,タブレットPCという端末に縛られて一つにまとめるのはどうかなとも思えます。
・たぶん,もっと機器が安価になる必要があるのでしょうけれども、使途に応じた機器が複数活用できるようになる時代が来るのでしょう。そういう意味では,いまの情報端末に期待されている事柄は,かなりハードルの高い話なのだろうなとも思います。
平成22年度から平成23年度へ
いよいよ年度替わりを迎えます。
りんラボにとっての平成22年度は,実に慌ただしいものでした。一年前の記録を振り返れば,ブログにはiPadの話題が溢れています。
そう,まさにiPadの年(Year of the iPad)だったわけです。
りんラボとして平成22年度はタッチデバイスの教育利用に関して邁進しようと考えていました。
授業と校務の隙間で文献資料集める日々が始まり,iPadアプリの開発にも意欲を見せていました。学会でのワークショップ実施とか,アプリのプロトタイプ開発までやっていたのは確かです。
しかし,もう一つ大きな仕事を請け負っていたのも平成22年度でした。
総務省のフューチャースクール推進事業です。年度後半は,どっぷりとそちらにはまり込んでしまいました。
たくさんの人間が関わる国家事業の一部ですから,できるだけその背景を理解する努力が始まりました。国の仕事に関わるのは初めて,その流儀は誰も教えてくれませんので,周りに迷惑をかけながらもぶち当たって確かめるの繰り返しをしていました。
そんなことをしているうちに平成22年度が過ぎ去ろうとしているわけです。
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さて,平成23年度の予定。
・フューチャースクール推進事業
・教育の情報化に関する本を執筆
この2つを中心に進めていく予定です。
フューチャースクール推進事業では,文部科学省の学びのイノベーション事業も自動的に関係することになるので,それなりに対応しながら,またいろいろ発信してみます。
本を書いてみようというのは個人目標で,自分が関わったことや調べたことをまとめるタイミングかなと考えているということです。PDFで公開しながら執筆していきたいと思います。
平成23年度は,担当する授業の時間割りがさらに不都合な散らばり方になり,外部で仕事するのが難しくなりそうなので,閉じこもって文章を書こうというわけです。
あとは,隙間でプログラミングでもして気晴らしをしようと思います。
さて,平成23年度も頑張りましょう。
ご卒業・ご修了おめでとうございます
この時期は卒業・修了,また異動などの見送りとお別れの季節です。
私の職場でも先日,卒業式が行なわれました。そして私の古巣でもたくさんの後輩たちが卒業や修了を迎えて新たな場所や時間へと移ろうとしています。
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この職に関わって十何年が経ちました。時間ばかりが経って,私自身は相変わらずで恥ずかしい限りですが,見送る立場をそれだけ繰り返したことになります。
基本的に別れは好きではないので,その裏返しで他人に深入りしない質です。
教え子たちのほとんどが「女の子」なのは幸いで,もともとうだつが上がらない男性教員には関心もないし,卒業してもほとんど会うこともないので,見送る寂しさに耐えれば,それでまた次へと進む,その繰り返しで過ごせます。
時々,教え子たちは元気にしているだろうかと思いを馳せることはあります。
けれども,「教え子」という不特定多数の集合体となった,その一人一人に対しては,所詮,私自身がやろうとしていることでエールを送ることしか出来ません。だからもっと精進して頑張らないと。
数々の仕事でご一緒した方々のことも,また思い返すことがあります。
思い返す人が多くて,そして私の記憶力の悪さが祟って,もはや顔と名前が一致しないということも多いです。何かの機会に再会しても,ど忘れしていることもあります。
それでも,ご一緒していたことは嬉しいことであるし,そのことに感謝もしています。こちらもまた,ご恩を返すために自分自身の仕事を頑張らないと,と思います。
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私は40歳になりました。
もう30代ではありません。そのことの意味を考えて,行動にも移さなければならないとは思います。
才覚溢れる若い人達はたくさん居ます。その人達が今の時代を切り開くことが出来るように,私は何かをどける役目を負っているのかも知れない。そう思うことがあります。あまり気持ちのよい喩えではありませんが,土砂や瓦礫を除去して仮の道路スペースをつくるような仕事のイメージです。
もちろん,何を求められているのかどうかに拠ります。もっと創造的な仕事が望ましければ,積極的にそれに関わっていきたい。
そして,いつか私のラボに教え子が出来たら,彼,彼女等とあれこれやってみたいと思います。それまで「りんラボ」は,教育と情報界隈を放浪する一人の研究者の旅路として続きます。
新たな時間を迎えるすべての皆様に,心からのエールを送ります。
東京で地震に遭遇しました
3/10からセミナー参加や資料収集のため東京に出かけていました。
3月10日のお昼の飛行機で羽田に到着して,そのまま東京大学に向かいました。まずは出身研究室にお土産を届け,夕方にある外部でのセミナーまで教育学部の図書室で資料漁りをしていました。
外部でのセミナーが終了した後は,特に宿も決めずに上京したので,以前住んでいた池袋に足が向いて,そこのカプセルホテルで一泊。
その日は平穏な東京滞在でした。
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3月11日の朝は,国立国会図書館へ行こうか,東京大学へ行こうか,迷った結果,東京大学で一日粘ることに決めて出かけました。
普通の金曜日の朝でした。
午前中は,書棚の間を巡って文献を探し出し,積み上がった文献をひたすらコピーしていました。2時間弱くらい,ずーっとコピー機の前で文献をひっくり返してボタンを押していたわけです。
お昼ご飯時でしたが,納得のいく資料がまだ探し出せていなかったので,引き続き書棚の間にたたずんで,古い雑誌をローラーで眺めていました。
欲しかった情報が見つかれば,紙のしおりを挟んで積み上げて,後でまとめてコピーするために,ずーっと書棚の間で探し続けていました。
そんなことをしているときにゆらゆらと来たのです。
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少し待てば収まるだろうとじっとしていましたが,揺れは続きます。
あまりに続くので,大きく広い自習机のあるところに出て,他の利用者と顔を見合わせました。声も出さずに「…大きいですね…」と口の形だけで確認し合いました。
やがて女性の司書さん達が「きゃ〜たいへ〜ん」とこちらにやってきます。
「ちょ,ちょ…,動かないほうがいいですよ!」
揺れは依然として続く中,司書さん達に声を掛けます。
一人の司書さんが私たちの居る机のところまでやって来たところで,揺れが一弾と強くなって,私たちも「机の下に!」と隠れると,地震シミュレーターで体験したことのある,あの強い揺れが図書室を襲いました。
教育学部の建物は歴史がある古い建物の上に,私たちが居る図書室は最上階である4階に置かれているので,それもあって揺れ幅が大きかったのかも知れません。
机の下に隠れている間,文献図書がばっさばっさと落ちてきて,書棚はぐわんぐわんとたわみ,私たちも強い揺れに振られる中で,日頃の冗談を悔いました。
「本に埋もれて死ぬのは本望」と研究者魂を喩える話として冗談を言うのですが,本当に埋もれて死ぬのは洒落になりません。
ようやく揺れがおさまって,あたりを見ると写真の感じ。
みんなで建物の外へ避難し,お互いの安否を確認したわけですが,さすがに図書室に戻ることは出来ない状態。「このまま閉室ですよ…ね」「そうですねぇ」てなことで,欲しかった論文をコピーできずに図書室から強制退去させられてしまいました。
図書室の復旧もいつになるやら…。
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そして,福武ホールにある古巣の研究室に避難をして後輩たちと再会…
…したのも束の間,2度目の大きな揺れがやってきて,またもみんなで机の下へ。
福武ホールは安藤建築として有名で,その安藤さんは阪神大震災のことも念頭に建築物を設計してきた方ですので,耐震性についてはどこよりも安心できます。
しかし,地面とともに大きく揺れることには変わりなく,乗り物酔いのような気持ち悪さが襲ったりと,不安な事態には変わりありません。
その後は,大学の避難マニュアル通りに行動することになり,情報学環の本館前に集合することになりました。
全体の安否確認が行なわれるのですが,外部からの来校者も含む大勢の人々を誘導することも難しいですし,建物の現況などの把握も時間がかかります。その間も,幾度も余震が感じられました。
とりあえず安否確認後は大学業務も中断され,解散となったわけですが,この時点で,今回の地震の全体像を把握していた人はほとんど居なかったと思います。駅などに帰宅困難者が溢れ返る事態になっているとは誰も想像していなかったのではないでしょうか。
宿泊先も確保していない私は,とりあえず福武ホールに戻ることにしました。
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iPhone片手にTwitterを眺めるのですが,断片的な情報からは各地で被害が出ていることくらいしか想像できませんでした。
ケータイのワンセグでテレビを見ても,直後では地震の揺ればかりに注目が集まる段階で,津波の被害の酷さを知るのは後になりました。
騒ぎが縁で初めてご一緒した人やリアルでお会いすることになった方々と挨拶や自己紹介などの会話をして時間を過ごしていたので,自分たちが被災しているという感覚は少なかったと思います。
やがて携帯電話の通話回線が使えないことはもちろん,ほとんどの交通機関が不通になったことが確定的になると「動けない」「帰れない」という事実も実感され,その晩は東京大学で夜を明かすことを理解します。
私たちは,帰宅難民として福武ホールに一泊することになりました。
久し振りにお会いした恩師は,緊急事態の対応で奔走され,院生や大学スタッフの皆さんは食料などを調達しに動いてくれていました。
福武ホールには海外からの学生も多いので,そうした学生達もパソコンを使ってネットから情報を収集しながら事態を注視していたようでした。
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手元の情報源はネットとテレビ。
iPhoneとiPadでTwitterやYAHOO!ニュースなどを確認したり,ケータイのワンセグでたまにテレビのニュースを見たりという情報収集でした。
しかし,事態の全体像を把握することが難しい。
自分たちの関心事は,首都圏の交通機関だったりするし,Twitterで流れてくる断片的な情報だけでは,全貌を描くことは難しい。
一夜明けて,なんとかかんとか徳島に帰宅した後,ノートパソコンやテレビで落ち着いて情報収集をし直してみると,震源近くの宮城の被災状況と原発事故には衝撃を受けることになりました。
出来る支援をしていかなくてはならないと思いました。