先日,Facebook上に次のような投稿をしました。
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ノート系のコラボレーションツールについて、事あるごとに触れたり考えるのだけれど、私が古風すぎるのか、思い描く使い方にピッタリなツールに出会えてないように思う。 皆、何ゆえ、同じ模造紙やノートに複数同時に書き込む事から考え始めてしまうのだろう。 同じノートに書き込める事が「共有」だとか「協働」だとかいうのは、たぶん二番目なのだ。本当に欲しい「共有」は、自分のノートがきっちり作れて、そこから必要な部分を取って出しできることである。そういう設計思想を踏まずに、同じノート上で領域分けて自分の書き込みをすればいいと誤魔化してるものが多すぎるように思う。 だから使用過程でノート自体が混乱し破綻が生ずるものもある。それをユーザー側がカバーすることをそれとなく強いてしまうものもある。 とはいえコラボレーションツールの設計や実装は難しい。妥協もどこかで必要と思う。あともう少しで理想的なものがてきるのではないかと期待することはできても、実現するのは、また違う話なのだ。 https://www.facebook.com/kotatsurin/posts/10151903006468850
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もちろん特定製品に向けたものではなく,書き込みする機能をもったコラボレーションツール全般に対しての考えを述べたものです(コラボレーションツールと一口に言っても大変多様なので,それも困ってしまいます)。
でも,皆さんは思われるかも知れません。 「実際には,活用されている事例があるじゃないか」と。
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たとえば教育向け製品「コラボノート」(ジェイアール四国コミュニケーションウェア)は,様々な学校での導入事例があり,このジャンルでは有名なソフトです。
コラボノート自体は,総合ツールとなっているため,ここで対象となるのは「電子模造紙」機能(for School部分)のことになります。これは「わいわいレコーダー」というソフトとしても別途開発されている機能です(細部は異なります)。
コラボノートは,児童生徒が電子模造紙に同時に書き込むことができるようにつくられています。これによって協同学習を支援できるとされています。製品紹介サイトの画面例をみていると,地図づくりや壁新聞づくり,学校間交流で児童生徒の意見をずらっと並べて比較する例が見受けられます。
類似のものには,SKY MENU Classの「デジタルもぞう紙」であるとか,その他にも昨今は,会議ミーティング向けの資料・アイデア共有アプリなどが協働作業に使えるとしていくつか注目されています。
これらは,協働制作物を作り出す際に有効なツールというわけですが,問題は,個人のツールとして機能が弱いことです。個別の書き込みやまとめは,協働成果の一部分として残りはしますが,「私のノート」として個に返せないのです。
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もちろん多くの商品には,個別ユーザーがファイルやデータを書き出すなど保持して,後日参照することができる機能は付いています。
しかし「自分用に書き出したりコピーを持つこと」と「私のノートとして自分に返すこと」はまったく異なる行為です。
いま一度,考えていただきたいのですが,教育や学習を主目的とした活動は,最終的には個に返って決着する必要があります。その過程において,班や学級のパフォーマンスが問われることはありますし,総じて最後にはそのような括りで成果が現われることもありますが,児童生徒学生が個々に応じた発達をなし得なければ,これは教育・学習活動にはなり得ません。
つまり,組織として最高のパフォーマンスが出せれば良い企業活動のようなものとは,その着地点が異なることを教育を語る上では念頭に置かなければなりません。
よって,協働制作物がツールの支援も相まってより良いコラボレーション結果として完成し得ても,そのコラボレーション活動や成果物から個々の児童生徒学生が何かしらの前向きな変化を得られなければ,協働作業ではあっても協働学習ではないのです。
そして,こうした活動においてデジタルツールが個の学習に役立つ一つのカテゴリが「ノート」であろうと思います。
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ご存知のように,昨今は「コンテンツ」のカテゴリを対象としたデジタル教科書あるいはデジタル教材といったデジタルツール(と呼ぶべきかどうか,異論あると思いますが,ここではとりあえずそうしておきます)が話題になっています。
文部科学省も「デジタル教材等の標準化」の作業を進め,デジタル教科書・教材のイメージを練り上げている途中です(このページに掲げられているイメージ図は今後も変わり得ます)。
その中では,デジタル教科書を「コンテンツ」と「ビューア」で構成したものと位置づけ,これと連携するアプリケーションとサーバーなどの組み合わせとしてデジタル教科書・教材の全体像を描いています。
しかし,デジタル教科書はネーミングの悪さも手伝って,現時点での現状が正しく伝わっていない上に評判が悪く,デジタル教材にしても,そのイメージに引っ張られてか,ありとあらゆる学習場面に取り入れられるかのごとき受け止められ方をされています。
昨今,多くの人が四六時中,スマートフォンやタブレットでネットのコンテンツを消費している風潮を,そのまま学校教育にも引っ張ってこれば,そのような理解もさもありなんです。
まして,ここで重要だと訴えている「ノート」のカテゴリは,デジタル教科書・教材イメージ図の連携するアプリケーションの一つ「電子ノート」として書き込まれているだけです。
本来であればデジタル教科書・教材と同程度,あるいはそれ以上に,電子ノートあるいはデジタルノートに注目すべきと思います。
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似たような考えをお持ちの方は,意外とたくさんいらっしゃるようです。
しかし,実際にはデジタルノートに対する期待はたくさんあるにも関わらず,なかなかそれを満たしてくれるものが現われない現実に多くの人が困っているといった様子も垣間見られます。
文具に様々な商品があるように,デジタルノートも何か特定の商品が良い悪いというのではなく,個別のニーズに応ずることが出来るよう様々なものが登場して,それらがストレスなく情報・データ交換できる仕組みが備わる,そういった環境に早く進化していって欲しいなと思います。