【告知】教育情報化の歴史ワークショップ-私的履歴から史的理解へ-

 2013年9月20日から秋田大学で日本教育工学会第29回大会が開催されます。

 学会発表などの本番は21日からですが,前日の20日には秋田大学附属小学校の授業公開と,学会ワークショップがあります。

 そして私もそこで「教育情報化の歴史ワークショップ」なるもの主催します。

 歴史ワークショップなんて堅苦しいタイトルが付いていますが、昔話に花を咲かせましょうという会です。

 一応,話が盛り上がるために,皆さんの記憶や関心を呼び起こすためのワークを考え中ですが,自分が関わってきたこと,個人的に好きだったパソコンやソフトや教育実践のことなど,皆さんの履歴に関する「記憶」を持ち寄ってもらい語らっていただくのが基本です。

 そのため,私が日々作成し続けている秘伝(?)の教育情報化年表をご覧いただく機会になると思います。まだ未完成な部分が多くて公開には至りませんが、これはこの分野の財産だと思うので,皆さんの経験に学びながら完成させ共有したいなと思っています。

 最近のデジタル云々の議論は,いつか来た道とそっくりであることも多いし,様々な過去の積み重ねを知れば誤解も氷解し,より深い議論に進められるかも知れません。

 教育の情報化の過去・現在・未来に関心がある皆様と,一緒にいろいろ学べたらと思います。ぜひ覗いてみてください。

 ワークショップは大会会期の前日扱いなので、学会参加費の対象外です(よね?)。お金のことは気にせず,これだけ参加しても怒られません。^_^

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[ワークショップ説明文]

 「教育の情報化」は学校環境のICT対応の通じて情報教育や教科等の指導,校務の効率化を目指すものとして取り組まれてきました。 初等中等段階においては,コンピュータ教育元年と呼ばれた1985年から現在まで様々な試みが繰り返されてきましたが,必ずしも学校の日常に組み入れられたとは言い難い状態です。

 このような事態は,ICTを活用している社会と学校の乖離が増すばかりでなく,大学教育の高度化や教育工学研究の前進にも良い影響を与えません。

 その時々の機器や技術に踊らされないためには,歴史的な積み重ねの共有と議論が不可欠ですが,教育の情報化は多様な試みが散在しながら進行したため,その記録は,関係者の履歴としては残されていますが,歴史として蓄積されていないのが実情です。

 本ワークショップは,散逸しつつある教育情報化の記録や記憶を集める手がかりとして,参加者の私的履歴を持ち寄ってもらうことから始め,年表との比較作業や参加者同士の語らいを通して,教育情報化の史的理解へと繋がる契機をつくることが目的です。

デジタル・ICT対応の推進/慎重/反対に何を思う

 私は大学教員を生業にしています。

 もちろん研究者でもあります。論文をバシバシ書くタイプではない自称熟考派ですので,あまりお役には立っていませんが,学術界の片隅でお仕事をしています。

 いまは「教育情報化史」に関心を持っています。

 もともとはカリキュラム研究の立場から教育実践や教育方法を考えることに関心がありました。やがて情報通信技術の社会への浸透を意識するようになり,教育と情報技術について考えることが多くなりました。

 そして,その歴史への興味関心が強まって今に至ります。

 デジタル教科書界隈がまた騒がしくなってきました。

 佐賀県のICT機器導入(県立高校生全員タブレット端末購入)のニュースも同時に流れて,話題はごちゃまぜになりながら関心を呼んでいます。

 推進派,慎重派,反対派ともとれる発言がTwitterやブログなどで発信され,議論が展開しているようにも見えます。

 しかし,残念ながら私には議論が相変わらず混乱しているように思えます。

 私はこういうものを交通整理したいと思う立場です。

 私自身はデジタル教科書やICT機器の導入に対して「慎重派」だと思います。

 正確に記せば「条件付き推進派」なのでしょう。そういう意味で「懸念派」や「反対派」に立つ人々からすれば敵対関係にあるかも知れません。それに条件付きなどとするあたりがいかにも学者的な逃げ口上と映りそうです。

 しかし,幼稚園・保育所,小学校(低中高),中学校,高等学校,中等教育学校,特別支援学校,大学・短期大学・高等専門学校,大学院など,学校種を考えるだけでも様々な条件が存在します。

 「教育の情報化」という言葉が指す範囲には,大きく分けても「情報活用能力の育成」「学びにおけるICT活用」「校務の情報化」といった領域があり,目的も効果も様々です。

 学校教育経費は限られており,ましてや割かれる歳出が減少傾向にある中では,教育と学習のためのフリーハンドは失われつつあるといえます。つまり,それぞれの教育学習活動にどんなリソースを与えて,どのように支えるのか考えることは,方略をもって選択と集中がなされなければならなくなっているということです。

 私が半ば推進派に属するのは,教育と学習に振り向けられるリソースを豊かにしたいからです。またフリーハンドが増えれば,教育と学習に試行錯誤が許されることになります。

 ここでいう「リソース」とは,予算はもちろん教材や整備などの学習環境も含まれますし,学校に対する社会的信頼といった無形のものも含まれます。また「フリーハンド」とは学校教育における自由度や自律性であり,旧来の規則や制限を見直して緩和するか,新たな規則をつくることを含んでいます。

 そうしたリソースとフリーハンドの獲得には,丁寧な議論と設計が必要であり,新たに構築したものを継続的に見直していく必要性もあります。これが「条件付き推進派」という私の立場です。

 丁寧さを求める立場からすると,大胆さを求める「推進派」は好きになれません。だから私は中村伊知哉氏があんまり好きではありません。

 2010年初頭に彼の人がデジタル教科書への関わりを表沙汰にして活躍し始めてから,すれ違う機会はいくらもありましたが,直接話しかける気持ちが湧きませんでした。

 そもそも中村氏は教育研究者ではありません。教育に対する関心が人一倍強く,MITメディアラボとの関わりや100ドルパソコンのエピソードなど,氏なりに教育に関わってきたことは知っています。

 それでもたぶん関心が異なりすぎて,話がかみ合わないだろうと思われたのです。それにお互い担っている役割が違います。中村氏は「旗振り役」となったのであり,私は「学校現場支援」に立とうとする人間です。仕事ぶりに文句は言えても,互いの立場の必要性を否定しようもありません。

 だから,話しかけようという気分が湧かず,それゆえ好きとも嫌いとも言えない中途半端な認識のままに済ませています。

 あとは,少しでも混乱する議論を整理して理解し,この時代のことを後世にも知ってもらえるような仕事をするのみです。私が教育情報化の歴史に関心を強めているのは,そういう作業のためでもあります。

 「反対派」の懸念や否定意見について聞くべきものが多いと思います。

 しかし,反対意見にも丁寧さに欠けるものは少なくありません。

 人の直感や感情は危機や危険を回避する点においてあながち間違っていないと私自身も思います。しかし,問題を敷延してみた時,見えていなかった別の問題が背後に隠れていることもあります。

 危機や危険の回避だけでは解決し得ない問題を含めて,どのように考え対応していくべきなのか。こちらも丁寧な議論が必要だと思うのです。

 そういう意味で『ほんとうにいいの?デジタル教科書』という本が嫌いです。そういう本を書いた新井紀子氏は好きではありません。

 あの本はデジタル教科書の問題点を簡潔にまとめたという評価にはなっていますし,確かに問題点となり得ることを総花的に含んでいるかも知れませんが,冷静平等なまなざしで書いたとする前口上に反して,偏った観方でまとめられています。

 新井氏がそもそも反対派あるいは否定派であることは良いことだと思います。そういう意見を表明する意義があります。

 けれども,それだけでは不完全なのです。

 あの本の結論は,結果的に自己矛盾に陥るものでした。

 規格品であるコンピュータを活用する教師は信じないが,愛情を持った規格品ではない教師とその育成には期待を寄せる。様々な問題点を指摘した結末をそのように飾った本は,どうにも好きになれません。

 私は,規格品であるコンピュータを子どもたちに愛情を持って活用できる規格品でない先生は在り得ると思うし,その育成が大事だと思います。

 その観点からこの本を読み返すと,筆者がいかに問題点をあげつらうために一生懸命書かざるを得なかったか,気の毒な状況で生まれた本であることも見えてきます。

(追記 20130908)  デジタル教科書をめぐる議論のもっとも不毛な点は,どの立場も現在の学校や教師の実態に即したり,代表していない点にあります。発言者も大学関係者や業界関係者あるいは一般の方たちばかりです。

 発言によっては「教員意識調査」などの結果を引き合いに出すことがあります。

 たとえば中央教育研究所による「教師と児童・生徒のデジタル教科書に関する調査」の結果は,報告書冒頭で次のように要約されています。

「デジタル教科書とこれまでの紙の教科書の併用を望む教師」が小学校では71.8%、中学校では60.2.%と最も高く、「紙の教科書を廃止してデジタル教科書のみを望む教師」は小・中とも非常に少ないです(4%弱)。「デジタル教科書不要」という考え方は小学校では24.8%、中学校では34.4%です。

 これをもとに,反対派は,6〜7割の先生がデジタルと紙の併用を求めているのだと引用することも出来ます。推進派は,デジタル不要と考えているのは3割程度に過ぎないと抜粋することも出来るでしょう。どちらも現場の声に立脚して主張できてしまいます。

 発言者は学校現場から遠い人たちばかりで,アンケート調査結果はそれぞれの主張に合うように用いられるのでは,現実の文脈に即した議論というよりも可能性の範疇で議論が展開してしまいがちです。

 私自身は,教員調査などのアンケート結果のほとんどが,学校の教師の皆さんの慎重さを示した結果になっていると捉えています。

 そもそも日本の学校は,多くの人々が解体や再構築の必要性を望むほど硬直化した官僚体制になっています。従来の日本の公教育とは,そのように統制された世界観のもとで構築されてきました。

 と同時に教師の教授学習文化としては,教科教育の伝統が強く継承され続けてきました。日本的な教材研究や授業研究の文化は,世界的にも注目されているほどです。

 そのような文化や文脈の中で,デジタル教科書やICT機器の活用に対して,無批判に使おうとする先生はごく限られた人たちであると考える方が自然です。むしろ教師の方が懸念を大きく抱いていて,デジタル教科書やICTの活用を抑制あるいは制御したいと考えているほどです。

 そのような学校現場の空気もまた私個人の理解でしかないと言われるかも知れませんが,私自身が小中高校の現場に接する中で感じ取るのは,そのような傾向なのです。

 反対派や否定派の人々の意見は,こうした学校現場の現状や考えを代理しているというよりも,そことは別個に考えて捻出した懸念に基づいている点で,説得力に欠けます。

 また推進派の人々は,現場の懸念を丁寧に拾い上げるまでには至っていません。大きな流れや機運を盛り上げることが優先されると,そうした部分は後手に回るか,他の人たちに任せるかといった感じになるからです。

 今回のデジタル教科書の議論は,いわばいつもの空中戦といった感が強く。誰がだれに向けて何を主張し,どう在りたいのかが発言者自身も不明瞭なまま,懸念や主張表明が続いているように私には見えてしまいます。

 過去の出来事を掘り起こし,現在の出来事を整理しつつ,未来を見通すことに役立たせるのが私の仕事です。過去の掘り起こしが意外と大変なので時間がかかっていますが,その成果についてはこれから徐々に世に問うていきたいと思っています。

 デジタル教科書やICT機器導入で起こっている様々な出来事には,それぞれ奥深いものがあり,それらは繋がっているのだということを,私自身まだまだ新たに発見して勉強しているところです。

次世代デジタル教科書共通プラットフォーム開発コンソーシアム「CoNETS」

 2013年9月5日付で次世代デジタル教科書共通プラットフォーム開発コンソーシアム「CoNETS」(コネッツ)が発足したようです。

 ニュース報道やコンソーシアムのお知らせによると,教科書会社12社と日立ソリューションズが参画し,これまで各教科書会社の固有製品としてバラバラに開発してきたデジタル教科書を共通に開発するためのプラットフォームづくりで協業するということのようです。

 これに関しては業界が足並みを揃えるというニュースとして伝わり,好意的な反応もあれば,いままでどうして共通化していなかったのかという素朴な疑問や,ニュース報道で取り上げられた従来のデジタル教科書の使い難さに非難の声が上がるなど,注目を集めることによる様々な反応が出てきているようです。

 教科書というのは,国が定めた学習指導要領に準拠しているかどうかをチェックする検定に合格した教育用図書であり,教科書会社は教材商品として個々のノウハウのもと教科書を編集して検定を通し,学校に採用してもらうという努力をしてきました。

 デジタル教科書は,まだ海のものとも山のものとも分からない状況ですが,指導者用のデジタル教科書についてはICT活用が奨励されてきた流れもあって,5年ほど前から検定教科書とは別に学校向け商品として開発販売が始まったわけです。

 そのため,各社でデジタル教科書の機能も操作性も違っており,皆さんが報道でご覧になったように合わせて使うと大変な事態を招いていたというわけです。

 しかし,デジタル教科書自体の導入がそれほど進んでいたわけでもなく,まして各教科(各社)のデジタル教科書を揃えて導入することも従来までは事例が少なかったため,そのような組み合わせて使う苦労の問題は水面下のものだったのです。

 そして,いよいよICT機器やタブレット機器の学校への導入が賑やかになってきた今日になって,こうした問題に本格的に取り組むタイミングとなったことがコンソーシアムの発足などに繋がったのだと思います。

 実際,文部科学省でもデジタル教科書の標準化に関して取り組みが進行中です。そういうものにも繋がっているわけです。

 さて,ところで,教科書会社12社が団結して…というニュースに,一般の人々は「それはすごい」と思われたかも知れません。今回参画したのは…

 大日本図書株式会社  実教出版株式会社  開隆堂出版株式会社  株式会社三省堂  株式会社教育芸術社  光村図書出版株式会社  株式会社帝国書院  株式会社大修館書店  株式会社新興出版社啓林館  株式会社山川出版社  数研出版株式会社  日本文教出版株式会社  日立ソリューションズ  以上,教科書会社12社と開発企業1社です。

 しかし,そもそも日本には教科書会社というのはいくつあるのでしょうか。  文部科学省の教科書目録(平成25年)を参照すると,日本で教科書を発行しているのは50者となります(個人も含むので「者」となります)。

 50者の中の12社と考えると多いような少ないようなですが,ほとんどの発行者は特定学校種や特定科目(高校の選択科目など)の教科書を発行している感じですから,主要プレーヤーとなると限られてきます。

 たとえば50者のうち小学校・中学校・高校の教科書を発行しているのは…

 東京書籍  大日本図書☆  開隆堂出版☆  三省堂☆  教育出版  教育芸術☆  光村図書出版☆  帝国書院☆  啓林館☆  日本文教出版☆

 です。そして星印が今回のCoNETSに参画している会社となります。主要プレーヤーのかなりが参画しているけれど,東京書籍と教育出版が欠けているという結果。

 業界的にはいろいろ深読み出来そうな内容ですが,多様性もまた大事なことですので,EPUB3をベースに切磋琢磨していただければと思います。

 今回,共通プラットフォームという言葉が使われているので,それ自体が日本だけの独自規格になるんじゃないかとご心配されている方もいます。

 実際には,EPUB3が教科書コンテンツのベース規格になりますので,このコンソーシアムで開発したデジタル教科書であっても,中身のEPUB3部分を取り出して他社のビューアやプラットフォームソフトで使用することが原理的には可能です。

 コンテンツ部分とビューア部分の標準化が課題とされていますが,コンテンツ部分はEPUB3で統一しつつ,ビューア部分で各社が相乗りするというのが今回の動きなのです。

デジタル教科書の導入と効果の議論

 文部科学省の平成26年度予算概算要求が公表されました。

 国家のIT戦略から「教育の情報化ビジョン」に至る政策の反映として,「情報通信技術を活用した新たな学び推進事業」の要求枠が設けられています。

 ちなみに,総務省では「ICTによる社会的課題の解決と豊かな生活の実現」という施策の中で「教育分野におけるICTの活用」の枠が用意されたようです。(これに対応する文部科学省側の枠は「先導的な教育体制構築事業」)

 文部科学省にしても,総務省にしても,どちらも「新しい日本のための優先課題推進枠」として要望を出すかたちにしています。 —  文部科学省の事業イメージによると…

確かな学力の育成に資する授業革新促進事業 〈補助事業:補助率1/3〉 H26要望額:17億円 3年間で100地域(H26:40地域)を拠点地域に指定 ICT教材を積極的に活用して、子供たちにとって楽しくわかる授業等を実施 40地域×@1.3億円×1/3(補助率) ※主な対象経費 協議会の開催、教材費、外部人材(ICT支援員等)の配置、備品 等 ○具体的な取組例 企業等が協力した教材を用いた楽しく学べる授業の実施 離島や外国などとの交流や協働学習を実施 ICT機器を活用した授業サポーター等として外部人材を配置

 となっています。

 (※なお,これは概算要求段階の内容で,今後却下される可能性も残ります。)

 これに対応する新聞報道としては…

タブレット端末購入に補助…ICT教育で文科省」(読売新聞)

 があります。またいくつかの地方自治体がタブレット端末の学校への導入を準備しているといった報道もチラホラと流れてきて,ふたたびデジタル教科書界隈が慌ただしくなってきた感があるようです。

 さて,そんな動きもあってか,ここ数日,言論プラットフォーム「アゴラ」上でこんな議論が展開されています。

 「1人1年1万円でデジタル教科書を — 中村 伊知哉
 「デジタル教科書の導入を急ぐ前に – 辻元
 「デジタル教科書のメリット・デメリットなど、今さら議論は不要 – 山田肇
 「(続)デジタル教科書のメリット・デメリットなど、今さら議論は不要 – 山田肇

 中村節はいつものことなので置いとくとして,辻氏と山田氏の発言は,真っ当な部分と当てが外れてしまっている部分とが混在していて,モヤモヤ感が満載でした。

 辻氏の実証実験など研究成果をもとにした丁寧な議論を…という呼びかけは正しいものと考えます。ただ,この手の実証実験を納得のいくかたちで実現するのは大変困難で,多様な変数を統制して学力向上の結果を得る発想の研究成果を導入の是非に採用するのは,あまり得策ではないように思います。

 一方,山田氏の学習指導要領を根拠とした記述は辻氏への返答としては雑過ぎで,続く記事で挙げた効果に関する研究知見はご同僚の松原氏の報告やかつてメディア教育開発センターが受託研究した成果を引用したスライド,フューチャースクール推進事業のガイドラインを示してはいるものの,これも思いつくところ検索して紹介した感が強過ぎて雑に見えることが残念です。

 コメントで展開する議論を眺めても,どういうデジタル教科書あるいはICT機器を,どんな対象に向けて,どういう目的で使用するのか,議論がごちゃまぜなので,良い部分もあれば悪い部分もある中で,あとは各人が好き勝手に摘み食いしながら発言が展開してしまっています。

 先日「学習支援という補助線」を踏まえて,学習支援あるいは学習保証(学力保証以前の学習する・出来ることを保証すること)を真剣に考えることが,教育におけるICT活用に対するフレームワークを再構築するのに役立つのではないかと私は書きました。

 まだ全体の見取り図は描けていませんが,「学習支援・保証」「知識定着」「知識構築支援」「指導向上」といった効果セグメントを明確に分けて考える必要があるのではないかと考えています。

 もちろん学年,学校種といった発達段階の違いについても掛け合わせ毎に丁寧な区別をした議論を展開すべきと思います。ICT機器の特性もモノによって異なるでしょう。

 その上で,ICT機器導入の根拠を求める際には,学力に対する効果といった漠然とした問いを避けるよう啓蒙しなければなりません。少なくとも上記の効果セグメントのいずれかに焦点をあてて,その範囲に限って効果がどうあるのかを主張すべきと考えています。

 そういう意味では,辻氏が指摘するように,その前提での実証的な研究の成果を早急に示すべきでしょうし,あるいはこれまでの成果をそのような枠組みで見直して提示する必要があるのだろうと思います。

 今さら議論は不要という主張は,政策的な推進を優先する立場からすれば自然なことなのかも知れませんが,残念ながら世の中には政策に重きを置く研究者ばかりではありませんので,今さらどころか,今から議論が未来永劫続くことを覚悟していただかなければなりません。

(追記:20130901)  辻氏からの返答「コンピュータ支援教育の問題点について – 辻元」が公開されました。懸念点を「主体的な思考の育成には役立たない/注意散漫さを助長する」といったところに焦点化して書かれたようです。

 児童生徒が常時端末を携帯し,あらゆる学習の場面に利活用する情景を思い浮かべていらっしゃるようですが,学校がそのような条件で端末を使用するためには,それなりの学習規律が育成されていると考えるべきでしょう。またそうでなければ,利活用の場面をある程度制御して使わせるのが学校教育として当然の受け入れ方です。

 デジタル教科書議論をされる方々の中には,学校教師の経験者や塾講師の経験者の方もいらっしゃるはずで,授業づくりや学習場面設定が到達目標をまったく無視して行なわれることはないことぐらい理解しているはずですが,議論になると未経験者も入り乱れるためか,まるで授業や学習では目標や文脈も考えずにデジタル教科書や端末を使うかのように想定されてしまいます。

 懸念を説明されるために仮説を提示する必要はあろうかと思いますが,そのような使い方がまずい場合の問題点を,道具を使う事自体の問題点のように誤解を与える指摘の仕方で取り上げるのはフェアとはいえないと思います。

 デジタル教科書を含むICT機器の利活用を前提とした指導方法や学習規律がどんなものであってどう研修・育成していくのか。この問題は少しずつ関係者によって取り組まれているところであり,それは今後教育が続くかぎり通底する課題であることを理解しなければなりません。

(追記20130902)  山田氏から「(続々)デジタル教科書のメリット・デメリットなど、今さら議論は不要 – 山田肇」が公開されました。

 山田氏は藤井大輔氏と松原聡氏と共同で「わが国のデジタル教科書の在り方」というデジタル教科書の普及に関する政策的な流れと課題を論じた論文を発表しているので,デジタル教科書に関しては一定の知見を持つ専門家となります。

 ただ政策論的な問題関心を持つ人々は,教育的な妥当性自体には関心が薄く,政策的な根拠となる文書の有無や妥当性に関心があるだけなので,あらかじめ論点をすり合わせたり立場を申告し合わないと,議論が遠回りになりがちです。

 結果的には,同意や承認されると態度が軟化したような,ありがちなパターンで今回の議論は幕引きされちゃう雰囲気です。辻氏の次の発言とつながるのかどうか分かりません。

 多くの人々が配信を受けるブログメディアに登録している辻氏や山田氏のようなブロガーの人たちが,デジタル教科書について関心を持って議論してくれることは良いことではありますが,正直なところ議論がうまく運ばれず雑過ぎて,デジタル教科書の議論自体が質が低いと思われること自体が悲しいなと思います。

韓国のデジタル教科書協会 DTA

 日本には「デジタル教科書」に関する組織があります。

 比較的大きなものとして「デジタル教科書教材協議会」「デジタル教科書学会」があります。これらは民間あるいは学術団体です。

 公的機関でデジタル教科書を主題に据えている組織はありません。一般社団法人という形であれば、コンピュータ教育推進センターや日本教育工学振興会といった組織がありますが、公的機関といえるかどうかは微妙です。

 文部科学省で教育の情報化を扱っているのは、生涯学習政策局という局です。本年7月からは新しく「情報教育課」が新設されました。今のところデジタル教科書を担当しているのは、この情報教育課です。

 デジタル教科書の取り組みで知られる韓国。  私もときどき韓国のニュースで動向をチェックしていますが,この数ヶ月慌ただしくて見逃していたニュースがありました。

 韓国にもようやく「デジタル教科書協会」という企業による民間団体が結成され,5月21日には設立記念フォーラムがソウルで開かれたのだとか。 デジタル教科書協会 (Digital Textbook Association: DTA) http://www.dta.or.kr  新聞記事によれば、教育とIT関連の名だたる企業23社によって1月31日に結成された団体であり,400名を集めた設立記念フォーラムは「デジタル教科書とスマート教育のエコシステム」をテーマに展開されたとのこと。

 一部のメディアの観方によると、韓国は政権交代によってスマート教育への方針が曖昧化しつつあり,業界では先行きを不安視する声が聞こえるのだとか。また学校の先生達にも抵抗する空気が残っているとのことで,ある調査では膨大な予算に比して現場からの需要が低いことも浮き彫りになっているようです。

 デジタル教科書導入に関する作業が遅れていることは事実のようで,このことからデジタル教科書の導入自体が延期されるとのトバシ記事も出ていました。KERISなどは具体的な導入科目の選定に時間がかかっているという見解を示しているようですが、実際がどうなのかは、韓国とのネットワークを持っている人とか,視察に出かけている人に聞いてみないと分かりません。

 いずれにしても、韓国も気を緩めると抵抗が強まってデジタル教科書への勢い削がれてしまうという懸念があるようで,デジタル教科書協会が設立されて、早々に韓国教員団体総連合会と協力関係を組もうとしたのも、そうした懸念からかも知れません。

 韓国経済も厳しい局面を迎えつつあることを考えると,やはり経済的成長や発展というのは回り回って教育にとっても無視できないものなのだと思います。