デジタル・ICT対応の推進/慎重/反対に何を思う

 私は大学教員を生業にしています。

 もちろん研究者でもあります。論文をバシバシ書くタイプではない自称熟考派ですので,あまりお役には立っていませんが,学術界の片隅でお仕事をしています。

 いまは「教育情報化史」に関心を持っています。

 もともとはカリキュラム研究の立場から教育実践や教育方法を考えることに関心がありました。やがて情報通信技術の社会への浸透を意識するようになり,教育と情報技術について考えることが多くなりました。

 そして,その歴史への興味関心が強まって今に至ります。

 デジタル教科書界隈がまた騒がしくなってきました。

 佐賀県のICT機器導入(県立高校生全員タブレット端末購入)のニュースも同時に流れて,話題はごちゃまぜになりながら関心を呼んでいます。

 推進派,慎重派,反対派ともとれる発言がTwitterやブログなどで発信され,議論が展開しているようにも見えます。

 しかし,残念ながら私には議論が相変わらず混乱しているように思えます。

 私はこういうものを交通整理したいと思う立場です。

 私自身はデジタル教科書やICT機器の導入に対して「慎重派」だと思います。

 正確に記せば「条件付き推進派」なのでしょう。そういう意味で「懸念派」や「反対派」に立つ人々からすれば敵対関係にあるかも知れません。それに条件付きなどとするあたりがいかにも学者的な逃げ口上と映りそうです。

 しかし,幼稚園・保育所,小学校(低中高),中学校,高等学校,中等教育学校,特別支援学校,大学・短期大学・高等専門学校,大学院など,学校種を考えるだけでも様々な条件が存在します。

 「教育の情報化」という言葉が指す範囲には,大きく分けても「情報活用能力の育成」「学びにおけるICT活用」「校務の情報化」といった領域があり,目的も効果も様々です。

 学校教育経費は限られており,ましてや割かれる歳出が減少傾向にある中では,教育と学習のためのフリーハンドは失われつつあるといえます。つまり,それぞれの教育学習活動にどんなリソースを与えて,どのように支えるのか考えることは,方略をもって選択と集中がなされなければならなくなっているということです。

 私が半ば推進派に属するのは,教育と学習に振り向けられるリソースを豊かにしたいからです。またフリーハンドが増えれば,教育と学習に試行錯誤が許されることになります。

 ここでいう「リソース」とは,予算はもちろん教材や整備などの学習環境も含まれますし,学校に対する社会的信頼といった無形のものも含まれます。また「フリーハンド」とは学校教育における自由度や自律性であり,旧来の規則や制限を見直して緩和するか,新たな規則をつくることを含んでいます。

 そうしたリソースとフリーハンドの獲得には,丁寧な議論と設計が必要であり,新たに構築したものを継続的に見直していく必要性もあります。これが「条件付き推進派」という私の立場です。

 丁寧さを求める立場からすると,大胆さを求める「推進派」は好きになれません。だから私は中村伊知哉氏があんまり好きではありません。

 2010年初頭に彼の人がデジタル教科書への関わりを表沙汰にして活躍し始めてから,すれ違う機会はいくらもありましたが,直接話しかける気持ちが湧きませんでした。

 そもそも中村氏は教育研究者ではありません。教育に対する関心が人一倍強く,MITメディアラボとの関わりや100ドルパソコンのエピソードなど,氏なりに教育に関わってきたことは知っています。

 それでもたぶん関心が異なりすぎて,話がかみ合わないだろうと思われたのです。それにお互い担っている役割が違います。中村氏は「旗振り役」となったのであり,私は「学校現場支援」に立とうとする人間です。仕事ぶりに文句は言えても,互いの立場の必要性を否定しようもありません。

 だから,話しかけようという気分が湧かず,それゆえ好きとも嫌いとも言えない中途半端な認識のままに済ませています。

 あとは,少しでも混乱する議論を整理して理解し,この時代のことを後世にも知ってもらえるような仕事をするのみです。私が教育情報化の歴史に関心を強めているのは,そういう作業のためでもあります。

 「反対派」の懸念や否定意見について聞くべきものが多いと思います。

 しかし,反対意見にも丁寧さに欠けるものは少なくありません。

 人の直感や感情は危機や危険を回避する点においてあながち間違っていないと私自身も思います。しかし,問題を敷延してみた時,見えていなかった別の問題が背後に隠れていることもあります。

 危機や危険の回避だけでは解決し得ない問題を含めて,どのように考え対応していくべきなのか。こちらも丁寧な議論が必要だと思うのです。

 そういう意味で『ほんとうにいいの?デジタル教科書』という本が嫌いです。そういう本を書いた新井紀子氏は好きではありません。

 あの本はデジタル教科書の問題点を簡潔にまとめたという評価にはなっていますし,確かに問題点となり得ることを総花的に含んでいるかも知れませんが,冷静平等なまなざしで書いたとする前口上に反して,偏った観方でまとめられています。

 新井氏がそもそも反対派あるいは否定派であることは良いことだと思います。そういう意見を表明する意義があります。

 けれども,それだけでは不完全なのです。

 あの本の結論は,結果的に自己矛盾に陥るものでした。

 規格品であるコンピュータを活用する教師は信じないが,愛情を持った規格品ではない教師とその育成には期待を寄せる。様々な問題点を指摘した結末をそのように飾った本は,どうにも好きになれません。

 私は,規格品であるコンピュータを子どもたちに愛情を持って活用できる規格品でない先生は在り得ると思うし,その育成が大事だと思います。

 その観点からこの本を読み返すと,筆者がいかに問題点をあげつらうために一生懸命書かざるを得なかったか,気の毒な状況で生まれた本であることも見えてきます。

(追記 20130908)  デジタル教科書をめぐる議論のもっとも不毛な点は,どの立場も現在の学校や教師の実態に即したり,代表していない点にあります。発言者も大学関係者や業界関係者あるいは一般の方たちばかりです。

 発言によっては「教員意識調査」などの結果を引き合いに出すことがあります。

 たとえば中央教育研究所による「教師と児童・生徒のデジタル教科書に関する調査」の結果は,報告書冒頭で次のように要約されています。

「デジタル教科書とこれまでの紙の教科書の併用を望む教師」が小学校では71.8%、中学校では60.2.%と最も高く、「紙の教科書を廃止してデジタル教科書のみを望む教師」は小・中とも非常に少ないです(4%弱)。「デジタル教科書不要」という考え方は小学校では24.8%、中学校では34.4%です。

 これをもとに,反対派は,6〜7割の先生がデジタルと紙の併用を求めているのだと引用することも出来ます。推進派は,デジタル不要と考えているのは3割程度に過ぎないと抜粋することも出来るでしょう。どちらも現場の声に立脚して主張できてしまいます。

 発言者は学校現場から遠い人たちばかりで,アンケート調査結果はそれぞれの主張に合うように用いられるのでは,現実の文脈に即した議論というよりも可能性の範疇で議論が展開してしまいがちです。

 私自身は,教員調査などのアンケート結果のほとんどが,学校の教師の皆さんの慎重さを示した結果になっていると捉えています。

 そもそも日本の学校は,多くの人々が解体や再構築の必要性を望むほど硬直化した官僚体制になっています。従来の日本の公教育とは,そのように統制された世界観のもとで構築されてきました。

 と同時に教師の教授学習文化としては,教科教育の伝統が強く継承され続けてきました。日本的な教材研究や授業研究の文化は,世界的にも注目されているほどです。

 そのような文化や文脈の中で,デジタル教科書やICT機器の活用に対して,無批判に使おうとする先生はごく限られた人たちであると考える方が自然です。むしろ教師の方が懸念を大きく抱いていて,デジタル教科書やICTの活用を抑制あるいは制御したいと考えているほどです。

 そのような学校現場の空気もまた私個人の理解でしかないと言われるかも知れませんが,私自身が小中高校の現場に接する中で感じ取るのは,そのような傾向なのです。

 反対派や否定派の人々の意見は,こうした学校現場の現状や考えを代理しているというよりも,そことは別個に考えて捻出した懸念に基づいている点で,説得力に欠けます。

 また推進派の人々は,現場の懸念を丁寧に拾い上げるまでには至っていません。大きな流れや機運を盛り上げることが優先されると,そうした部分は後手に回るか,他の人たちに任せるかといった感じになるからです。

 今回のデジタル教科書の議論は,いわばいつもの空中戦といった感が強く。誰がだれに向けて何を主張し,どう在りたいのかが発言者自身も不明瞭なまま,懸念や主張表明が続いているように私には見えてしまいます。

 過去の出来事を掘り起こし,現在の出来事を整理しつつ,未来を見通すことに役立たせるのが私の仕事です。過去の掘り起こしが意外と大変なので時間がかかっていますが,その成果についてはこれから徐々に世に問うていきたいと思っています。

 デジタル教科書やICT機器導入で起こっている様々な出来事には,それぞれ奥深いものがあり,それらは繋がっているのだということを,私自身まだまだ新たに発見して勉強しているところです。

NHK for School(NHK学校放送Webサイト)動画がiOS対応

 NHK学校放送は長い歴史を持つ教育放送です。

 また,教育番組やコンテンツを対象とした世界コンクール「日本賞」の存在は,この国が教育放送に対して常に努力を怠らなかったことの証であり,事実,NHKの学校放送は時代時代に沿いながらも教育番組としての矜持を守り続けてきました。

 もちろん,昨今の番組センスに違和感を感じる人々も少なくないかも知れません。過去の教育番組と比べると,つくりが甘いのではないか。演出が飛びすぎてないか。実際には,教育番組らしさという伝統を継承しつつも,テレビ番組として同時代的なものからの影響も無視出来ない中で,試行錯誤が続いています。

 ところで,昨今では放送中の教育番組については,放送済み回をWebサイト上でも公開しています。それが「NHK for School」というサイトです。

 ここには各教育番組のWebページがあり,放送済みの動画だけでなく,先生達の授業づくりに参考となる資料や授業で使用出来る補助教材,デジタルコンテンツが用意されています。これらは登録する必要もなく無料で利用出来ます。

 パソコンからアクセスすれば,教育番組を放送時間に関係なく視聴することが出来ますし,用意された教材や素材を提示することも出来るわけです。

 実は,従来までのNHK for SchoolはFlash技術をメインにサイトを構築してきたため,パソコンからの閲覧には問題ありませんでしたが,タブレット端末やスマートフォンから閲覧するといくつか表示出来ない箇所がありました。

 動画もタブレット端末から再生出来ませんでした。

 せっかく教室に持ち込みやすいタブレット端末が登場したにも関わらず,教育番組の動画再生が出来なかったことは,学校関係者にとっては大きな落胆でしたし,学校放送関係者にとっては大きな課題でありました。

 昨年あたりだったでしょうか,NHK for Schoolも少しずつHTML5対応を強化し始めていました。トップページの番組表も,当初はFlash技術だったためiPadでは見ることも出来ませんでしたが,HTML5技術に切り替えて見られるようになりました。

 その後,いくつかの教材コンテンツをHTML5技術で試作するなど,可能性の模索は現在も続いています。

 懸案の動画のiPad対応ですが,これはすぐに対応するということが難しく,要望や技術的な状況を見ながら対応のタイミングを待っていたようです。

 技術的には2011年後半ごろからFlash動画を送信するサーバーシステムが,iPad向け形式に対応する改良が加えられ始めたので,そうした新しいサーバーにシステムを買い替えて作業することで実現する目処が立っていました。

 というわけで,2013年8月下旬頃から教育番組のiPadとiPhone向け動画配信が実現したようです。インターネット接続さえ確保出来れば,iPadなどで手軽に教育番組を再生出来るようになります。

 NHK for Schoolのメールマガジンでも「NHK for Schoolの動画、iPhoneやiPadでも再生可能に」というお知らせが掲載され正式発表となりました。

 そろそろ新しいiPadも発売される時期です。先生方が教室の授業で利用することを見越して新規購入する例も増えるのではないでしょうか。

 学校にインターネット接続がない場合は,携帯電話会社との回線契約を合わせて購入することでLTE接続による動画視聴を可能にする方法もありそうですね。

 残念ながら,今回の変更で対応しているのはiPadとiPhoneなどのiOS機器のみ。Androidタブレットも対応出来るのではないかと思ったのですが,現時点では再生出来ないというメッセージが出て使うことが出来ません。

 さてと,iPadで「さんすう刑事」を観よっと。 ^_^

20130803 「Tangiblock」タッチ&トライ イベント

 こどもちゃれんじが,iPadと組み合わせて使う学習ブロック「Tangiblock」タンジブロックを発表し,Apple Store 銀座でイベントを開催したので参加してきました。

 タンジブロックは,iPadに載せて反応を引き出すことが出来る50個のブロックの集まりのこと。公式サイトには文字の描かれた青色ブロックが紹介されています。

 この50個のブロックを使って,どんな面白いことが出来るのか。アイデアまたはアプリ開発の募集を始めています(賞金アリ)。

 実は,タンジブロックはまだ未完成。

 50個のブロックとiPadアプリを作るための開発キットが出来上がったばかりで,実際のアプリはこれからみんなに考えて欲しいというわけです。

 最初は,文字の書かれたブロックを使った教育アプリがメインなのかなと思っていましたが,実際にイベントで関係者の方の説明を聞くと,そんな風に限定しているわけではないとのこと。

 どうやら,青いブロックというのも仮の姿で,ブロックの形や使い方も自由に考えて欲しいみたいです。

 ただし,タンジブロックとiPadを使う場合には,いくつか条件があります。

○ブロックは50個まで

 50音のひらがなをブロックにした場合,アルファベットとは共存が出来ない

○iPadに同時に載せられるブロックは2個まで

 ブロックを識別する原理とiPadの制約(認識点が11個まで)のため

○ブロックはこれ以上小さくできない

 ただし,iPadと触れている部分だけの話なので上の部分は好きなようにできる

 タンジブロックは,ものを使ってiPadから反応を引き出せるというセットです。  だから,学習ブロックとしてだけ使う必要はありません。50個のブロックも全部使う必要もないし,常にiPadの上に載せなきゃいけないというわけでもありません(つまり,何かを引き出す時だけ載せるという意味…)。

 ブロックを乗り物や動物に見立てても良いし,ゲーム盤の駒として使っても良いし,何かの鍵のように使ってもよいと思います。

 とにかくiPadと組み合わせた時にどんな面白いことが出来るのかを考えて欲しいとのこと。50個のブロックを何に見立て,何を割り当てることになるのかはアプリ次第というわけ。アイデア次第では面白いものが出来そうです。

第29回 学習デジタル教材コンクール

 今年も学習ソフトウェア情報研究センター(学情研)主催の「学習デジタル教材コンクール」がありました。応募した皆様ありがとうございました。受賞した皆様おめでとうございました。

 本年度も審査業務に関わらせていただき、皆様の応募作品について、厳正な審査はもちろんのこと、作品に添えていただいた開発意図や実践事例について誠意を持って受け止めさせていただいたつもりです。

 ある分野を活性化したいときに、頑張った人々を奨励する「コンクール」や「コンテスト」「コンペティション」を催すという手段があります。

 教育と情報の分野に関わるものとしては「学習デジタル教材コンクール」(学習ソフトウェア情報研究センター)、「ICT夢コンテスト」(コンピュータ教育推進センター)、「全国自作視聴覚教材コンクール」(日本視聴覚教育協会)、「日本e-Learning大賞」(eラーニングアワード事務局)、「特別支援教育教材・教具展示会」(国立特別支援教育総合研究所)などがあります。その他にも様々な団体や自治体が開催しています。

 いずれも、優秀な作品・実践を奨励することを通して、それらを共有し、次なる優秀作品・実践の創造に繋げていきたいという趣旨は共通していると思います。

 昨今、自作の教育ソフトやアプリをつくる余裕がなくなっているようにも見受けられますし、逆に優秀なツールでお手軽に出来ちゃう(作り込んだものもありますが、作り込みの浅いものも少なくない)ため、こうしたコンクールも、なかなか悩ましい状況を迎えています。

 それでも、より良いものを目指した取り組みが賞賛されて、広く波及していくことは大事と思います。デジタル教材が注目を高めつつある昨今だからこそ、実践を踏まえたものが多く出てきて欲しいものです。  

3Dプリンターには2種類ある

 先日のNew Education Expoはもちろん、ニコニコ超会議や教育ITソリューションExpoにも展示登場していた3Dプリンター。

 「3D積層造形装置」と呼ばれており、製造業における試作品づくりでの利用はもちろんのこと、教育現場での利活用もその可能性が注目されているところです。

 一方で、様々な物体を生み出せるということから、殺傷能力を持つ拳銃の設計図が公開されて、一時期騒然となったこともあります。また、造形するための設計図データがあれば、いくらでも複製製造できるため、キャラクターグッズのようなものも無断で作れてしまう問題点が指摘されています。

 こうした3Dプリンターの光と影をワールドビジネスサテライトが特集したこともあり、ますます注目を集めているというわけです。

 私自身は、3Dプリンターを操作したこともない素人なのですが、いつも疑問に思っていました。  テレビなどで紹介されているように、プラスティックの樹脂を細かく積み重ねて立体造形していくのは技術的に理解できるのですが、その場合、造形する物体の底辺はいつも平らになってしまうのではないか?

 だから、つい最近まで、球のような立体物や複雑にデザインされた立体物は、複数の物体を組み合わせて出来上がっているのだろうと思っていたのです。

 たとえば、ボルトを締める「レンチ」を造形したという話を聞いても、あのクルクル回して稼働させる部分は、バラバラに作って後から組み立てたのだと思っていました。

 しかし、先日の展示会で解説を聞いて驚きました。  3Dプリンターには、2種類あって、単に積み上げて物体を造形するタイプ(これとて精度によってピンからキリまである)と、造形した後に後処理を施す高級タイプがあるというのです。

 この後処理とは、物体を熱して蝋を溶かす工程が含まれるとのこと。

 要するに、造形する際に、プラスティック樹脂などの素材だけでなく、空間の隙間を埋めるための蝋も噴射して造形し、後から溶かすことで内部に空間を生み出すことができるというのです。

 先ほどのレンチに関していえば、バラバラの部品ではなく、最初から完成品をイメージして造形することができるということなのです。

 プリンターという名前と、積み重ねる動作の紹介映像の印象が強くて、まさか最後にオープンで焼くような工程が入るとは想像していなかったので、そういう後処理機能をもった高級モデルがあると聞いて大変びっくりしました。

 そして、3Dプリンターが生み出す可能性にみんなが注目する理由もようやく分かってきたように思います。確かにこれなら何でも作れそうです。

 果たして3Dプリンターが日本の教育現場に入り込んで活躍する日が来るのかどうか分かりませんが、教材研究の過程で実際に立体教材を製作できるというのは興味深い話です。まして、児童生徒が何かを表現する道具としての可能性も今後広がるでしょう。

 まだまだ技術的なものとコストの面、光と影の課題も多い3Dプリンターですが、視覚的なデジタル情報だけではなく実物体の教材でも学ぶ手がかりとして存在感を出してくるかも知れません。