8月3日の学びのイノベーション推進協議会の報告もまだ書いていませんが,本日(8/11)は担当している足代小学校で校内研修が行なわれましたので出席しました。
というか,担当研究者として講演を依頼されたので,おしゃべりしてきました。
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前日に文部科学省から届いたデジタル教科書を導入する作業が行なわれたばかりで,先生たちもデジタル教科書をじっくりと触るのはこれが初機会。
もちろんこの場合のデジタル教科書というのは学習者用(児童用)。ここで導入されているものが文部科学省公認の学習者用デジタル教科書というわけです。
まだ出来上がったばかりという捉え方が正しくて,実際に使ってもらいながら完成度を上げていくという感じです。まあ,いろいろ大変なんです。^_^;
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私のしゃべりはいつものようにこちらで公開中です。
http://twitcasting.tv/kotatsurin/movie/2263421
http://twitcasting.tv/kotatsurin/movie/2263592
フューチャースクール推進事業に加えて,学びのイノベーション事業が始まるにあたって,2つの事業について紹介したことと,実証校に対して背伸びし過ぎる必要はないと励ましのメッセージを送ったという内容です。
もっとも今回はあまり大した準備が出来なかったこともあって,しゃべりはぐだぐだになっていますし,録音は真ん中部分がだいぶ欠けてしまったようですので,「ふ〜ん」という程度にお聞きください。
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ちょっとした提案としては「シンキング・ツール」という「考える道具」を活用してみてはどうでしょうかというお話しもしました。
電子黒板やタブレットPCはハード的道具ですが,それに対するソフト的道具として考えるための道具「シンキング・ツール」を合わせたら,また違った教育実践に繋がるのではないかと紹介した次第です。
この延長線上には,言語教育があると考えています。
特に海外とのコミュニケーションを考える際に,日本人の情報発信能力の低さが問われることが多いのですが,その解決策として言語能力の強化が指摘されているのです。
つまり,日本人というのは文脈の共有を前提とした言語表現をするので,異文化の人々のように文脈の共有が弱い場面になると途端に言語表現の乏しさが露呈してしまうというわけです。
こうした問題を解決するには,海外の人達とちゃんと情報を交わし合える「思考の土台(プラットフォーム)」に慣れておき,文脈に依存しなくても大丈夫なように,その土台の上で言語表現する技術を養うことです。
シンキング・ツールはそのために活かせるのではないかと思います。そういう紹介をしました。
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相変わらずわたくしはディスクロージャーな(ぶっちゃける)人なので,デジタル教科書を動作させている様子もお見せしていたりしますが,いろいろ進行中であることを知っていただきつつ,これらの取組みが前進するための応援や知恵をいただければと考えています。
タグ: フューチャースクール推進事業
「学びのイノベーション推進協議会」の傍聴
明日(3日)、文部科学省に行きます。会議傍聴のため。
これまでも総務省が取り組んでいるフューチャースクール推進事業に関わってきましたが、今年度からは被さる形で、文部科学省の学びのイノベーション事業にも関わることになりそうなのです。
それで、文部科学省側の事業を統括していくことになる協議会を傍聴し、少しでも事業の方向性について手掛かりを得ようと考えた次第です。
日本の教育の情報化に関してはおおよそのビジョンが示されたものの、どこから取り掛かって事を成していくのかは明示されて来ていません。
そのため、ある人は液晶プロジェクタを教室に導入した方がよいと主張し、またある人は電子黒板を普及させる必要があると指摘し、別の人は一人一台の情報端末が望ましいと述べ、そのまた別の人はデジタル教科書に可能性が宿っていると説いたりします。
各々、御説ごもっともという所であり、学びの環境がリッチになることを期待している私にとってみれば、どの主張にも加担したいというのが本音です。
しかし、繰り返すこともうんざりするくらい、この国の現状、特に財政状況は困難な時期にあることは明らかで、教育だけを考えてリッチにすることは難しいわけです。
そこで優先順位を付けるということになります。ところが、この作業を誰がするのか、正直よく分からなくなっています。
私個人の考えでは、教育の情報化ビジョンを作成した懇談会が合わせて作業するのが妥当だったのではないかと考えていました。ビジョンを作り上げる過程の議論を踏まえることで、ある程度の優先順位の提案ぐらいは出てきてもいいのではないかと考えていたのです。
しかし、懇談会の場はそれをあっさりスルーしてしまいました。多分、そういう意志決定を伴う事項は、執行者、ひいては国民の判断に委ねるのが正しいと考えたのかも知れません。
今回傍聴しに行く推進協議会もまた、優先順位を付ける場ではなく、様々な可能性を検証していくことを見守る場として進められていくのだろうと想像しています。
何かしらのモデルを示すことになるとしても、それを実現する現実的な道筋を決定するのは各地方自治体ですから、具体的な議論にも限界があるのでしょう。
それでも協議会という場が設定され、教育の情報化、学びの変革について取り組まれるというのですから、その動向は注目すべきと思います。
私自身は、乗っちゃった船なので、その行方を知るためにも傍聴しに行くことにします。
FS推進事業をより良く批判するために
総務省のフューチャースクール推進事業も2年目。裏話的なことを書けば、ぼちぼち最終年度に向けた予算取り準備の時期に入っている。
まずは進捗状況をご報告すれば、今年度の取組みは昨年度からの継続として粛々と行なわれているが、現場を取り巻く様々な事情は震災影響と省庁連携のおかげで、相当散らかった状態である。
先日、ようやく事業拡張分である中学校と特別支援学校の公募があったところであるが、今回は総務省だけでなく文部科学省の事業としても応募して認められなければならないので、配慮しなければならないことは膨らんでいる。
情報機器インフラ整備と情報機器活用促進という両輪のそれぞれを総務省と文部科学省が管轄することは、一見すると無駄なようでもあるが、やはり餅は餅屋が担当し、分けておいた方が後々効果を発揮するはずである。
というのも、教育の情報化は、とかく学校現場のペースに合わせるという議論が優先されがちで、インフラ整備という観点から積極的に推し進める圧力に欠けてきた前歴がある。
今回、総務省が「教育的な配慮」を見せながらインフラ整備の事業を展開してくれているのは有り難い話で、本当なら四の五の言わずに情報網引っ張ってしまえば、大震災が起きた時に避難所となる学校が情報のハブにもなり得るのである。
そうであるから、文部科学省が教育への機器活用という限定的なところで取組みをするというのも、不得意なところで足踏みしないで済む分、指導法とか学習効果の部分に調査を注力できるメリットがある。
フューチャースクールは、せいぜい10年後の未来を想定した試みに過ぎない。そういう意味では、皆さんが思い描く「よりよい未来」には見合うはずもない。
ただし、10年後はその先何十年、何百年続く次の教育に移行するための大事な「入口」であることは確かである。
その入口を明確なものにするためにも、私たちが取り組んでいるフューチャースクール推進事業や学びのイノベーション事業は、大変重要なものであり、ここにちゃんとエネルギーを注ぐ必要がある。
ただし、そのためには皆さんにこの両事業を「正しく批判」していただく必要があると考えている。
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フューチャースクール推進事業の取組みが報道されたものを見たり聞いたり、実際に実証校に見学に行って、「これじゃダメだ」という感想を抱く方々がいることを私たち関係者も知っている。
・導入しているシステムや機器がダメとか
・機器を使うことが目的化してる授業に意味あるの?とか
・業者が学校現場に売り逃げしているだけではとか
・機器の操作だけであんなに手こずって大変そうとか
皆さんがご自分の経験や知識をもとに、様々な感想や判断をお持ちになる。
それはそれで構わないと思う。まっとうな意見や批判は事業改善の課題や検討事項として参考になるし、単なる印象論にもとずく否定的意見や事実誤認に対しては反論するだけだし、冷ややかな感想やツイートは私たちの気持ちが萎えるだけである。
それでも、もし少しでもこの国の教育の情報化の前進に役立つために一言二言が言いたいのであれば、こういう風に文句をつけていただきたい。
「この事業の水準や成果はともかくとして、この取組みを後世に引き継ぐための努力を行なっているのか」と。
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たとえば、有識者によって構成される省庁付の研究会一つとっても、異なる世代が交わる形になっていない。もう少し、先行世代が後継世代に財産を受け渡しができるように考えた方が良い。
考えてもみて欲しいが、同じ予算を投資するとして、船頭多くて議論や視察ばっかりして終わる事業と、船頭と漕ぎ手がちゃんと関係を築いて、それが次代の船頭を育成することになる事業のどちらが投資対象として魅力的か。
現在、各実証校で進行中のFS推進事業については安心していただきたい。皆さんには良くも悪くも見えるかも知れないが、実のところそれは誤差の範疇である(今になってその誤差は大き過ぎやしないかということも理解はしているが…)。
なぜなら現場で得られているものは、お手本としてであろうと反面教師としてであろうと役立つはずだからである。「あんなもの入れて、役に立つわけがねぇ」という見解もまたその成果に含まれるのだから。
もしも何かを批判的にチェックするのであれば、現場の成果を活かすように柔軟なマネジメントやコーディネイトできているのかどうかという点である。
その意味で、省庁付の研究会が担う責務は大きいが、だからといってお歳を召している人々ばかりに未来をお任せするのはどうかと思う。もっと若い人達にトップに立ってもらって、現場を鼓舞して欲しいと思う。
それだったら予算を割く価値があるというものだ。と、そんな批判をして欲しい。
教育の情報化3.0とは
「教育の情報化」という取組みがあります。
この言葉が広く使われ出したのは1999年における省庁連携のタスクフォース名として使用されてからだと記憶しています。それまでは「情報教育」といった言葉が主に用いられていました。
情報教育がコンピュータ教室の設置という発想で展開していた動きだとすれば、教育の情報化は普通教室におけるパソコン利用や校務の情報化といった学校教育全般にITあるいはICTを埋め込むという発想で展開していたと言えます。
もしもバージョン番号を振るなら、前者が情報化1.0で、後者は情報化2.0といったところでしょうか。
さてしかし、1.0も2.0も胸を張れるほどの普及を果たしたとは言えないようです。昨今では電子黒板導入といった情報化2.5くらいにあたる動きが進められているようですが、これも地方自治体によって温度差があり、日本の公立学校に共通して確実に備わっているものとは見なせません。
総務省が行なっているフューチャースクール推進事業は、名前から受ける印象とは違い、2.0範疇の情報化です。昨今のキーワードであるクラウドやタブレットPCなどをちりばめていますが、そこで実現しようとしているものは明らかに情報化2.0発想です。
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情報化1.0とは、情報機器の設備化のことでした。産業社会におけるOA機器の導入と期待のもと、職業教育の文脈に触発されて、主に高等学校のコンピュータ教室から設置が推進されていったわけです。学校設備にコンピュータが加えられていったわけです。
情報化2.0は、情報機器の備品化でした。やがて情報機器がパーソナルコンピュータという名称を得たり、ソフトウェアなどの充実によって活用範囲が広がり始めることにより、道具としての導入が進展していきます。
たとえばワープロとしての利用は広範囲に及びました。実態は教員の個人所有であることがほとんどであったわけですが、学校教育活動に不可欠であるという意味において備品であったといえます。
そして、私たちは今も情報化2.0の範疇にいるように思えます。
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教育に情報化3.0があるとすれば、それは何でしょうか。
1.0と2.0の流れからすれば、3.0は情報機器の個人所有化なのでしょうか。
たとえば、他の学用品と同様に一人ひとりの児童生徒が購入して所有し、必要に応じて学校での学びに活用するといった形のものでしょうか。
であれば、ケータイやスマートフォン、スレートデバイスなどのモバイル機器が極々ありふれた形で学校教育に入り込むことがイメージされるのでしょうか。
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おそらく情報機器という部分に照明を当てれば、情報化3.0においてもそのような風景が描かれるのかも知れません。
しかし、すでに私たちがクラウドやソーシャルメディアといったキーワードに触れて理解しているように、情報化3.0の主役は機器ではなく「情報」です。
情報機器がパーソナライズされることよりも、私たちが自分のパーソナライズされた情報を所有し、自分と自分の関係する人々が個々の権限において情報を操作できるという環境を実現することです。
よって、その意味において、情報化2.0のステージにあるすべてのものが再編成あるいは再構築されていくのが情報化3.0なのだと考えられます。
私は、カリキュラム研究者(の端くれ)なのですが、そのような立場からこのことを言い直せば、情報化3.0とは「カリキュラムの情報化」であるということです。
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この「カリキュラム」という言葉には、教育内容や教育課程という意味に留まらず、学習履歴や指導履歴など広義の概念を含ませており、むしろ私がカリキュラムの本質だと思っているのは後者の「履歴」に他なりません。
ですから、デジタル教科書というものが教科書を情報化したものだからとか、クラウドに保管されてネット経由で参照できるから、これは情報化3.0だとはなりません。それはせいぜい情報化2.5程度のことです。
そこに履歴の概念が折り込まれて、自在に管理操作できることが情報化3.0への道筋なのです。クラウド化はそのために必要な技術ではありますが、クラウド環境を導入したからといってそれが情報化3.0ではないのです。
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このことが学校教育にどのような影響を与えるかは、まだハッキリしていません。児童生徒の学習に絶大な効果を及ぼすのかも、確かめようがありません。
今のところはせいぜい、災害時に学習記録や校務情報がクラウドに保管されていると有り難いかもね、なんて話くらいしか訴求できそうなネタがありません。
ただ、恐らく私たちの社会生活は、ますますパーソナライズされた情報を背負う形で生きていかなくてはならない方向に進んでいるように思います。しかもその主戦場はネット、つまりはクラウドの世界。
善くも悪くも、日本という国は先行世代に優しい国なので、常に窓口には「紙と筆記具」が用意され続けるので、情報機器で直接管理する必要性を免れられる傾向にありますが、世界を相手にするとなるとそうも安心していられません。
私はこれも、どのような履歴をたどろうとするのかという意味における選択に他ならないと考えています。
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情報化3.0へのモチベーションには、情報化2.0のものに比して、より「思想」が求められているといえます。
しかし、他ならぬ教育自体が、この思想という部分において脆弱になっていることが、この問題を難しくしているのです。
そのかわりとして日本の教育を支えていたのは「制度」であったわけですが、ご存知の通り、制度ももはや疲労を起こしている。
その中で、私たちは個々人が哲学的な問いを経て、ある種の思想を形成していかなくてはならないと思うのですが、残念ながら、そのような思索が十分交わされているとはいえないのが現実のようです。
えひめITフェア2011で講演とディスカッション
2011年6月24日と25日に、愛媛県にある「アイテムえひめ」という展示会施設で「えひめITフェア2011」が行なわれました。
四国にはご存知の取り4県ありますが、愛媛県は四国の中でも政府の出先機関も多い県と聞いています。そこに総務省の「四国総合通信局」という機関があり、フューチャースクール推進事業についても、そこが管轄しています。
そんな愛媛で、総務省四国総合通信局が中心となって、毎年情報通信の提起展示会である「えひめITフェア」が行なわれているようなのです。
そして今年はフューチャースクール模擬教室というブースが組まれたり、フューチャースクール講演会という催しも企画されました。
徳島県のフューチャースクール実証校にかかわっている私も、僭越ながら有識者の1人としてお呼ばれし、講演と現場の先生たちとのパネルディスカッションを依頼された次第です。
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別のブログ記事にて講演で使用したスライドと録音音声を公開していますので、興味のある皆様はご参照ください。
地方のローカルイベントでの講演であること、聞いている方々が教育関係者だけでなくフェアに参加している業者の人も多いという想定もあって、講演のトーンは「フューチャースクールって大事なので応援してね」というものになっています。
ちゃぶ台返しで有名な私も御用学者の仲間入り?という感じですが、私は真面目にやってくれる人達には味方するのが主義ですので、こういう地方のローカルイベントで意味もなくブチ切れません。
だって、地域の皆さんが協力してくれないと本当に学校現場の先生方は苦しい立場に立たされます。今回の場は、よき理解者を増やすことが目的。そのうえで、物事がより良く進むよう批判的な目線で取組みを見守ることが大事です。
まあ、ディスカッションの場で本音ぶっちゃけたら、総務省から来た課長補佐さんが大きくズッコケていたのは見えましたけど…。
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パネルディスカッションには、フューチャースクール推進事業に関わっている徳島の小学校の先生と、地域雇用創造ICT絆プロジェクトに関わっている愛媛の小学校の先生が出席くださって、2校の実践をご発表いただけました。
短い時間しか発表に差し上げられず大変申し訳ない条件でしたが、ディスカッションの場ではお二方の先生にお互いの実践で感じたことやそれぞれの学校で直面していることなど、大変興味深いお話を聞かせていただきました。
総務省が取り組んでいる教育情報化の二大事業(FSと絆)が揃って発表するという設定は、なかなか貴重ではなかったかと思います。
フェアや講演会を企画準備された四国総合通信局の皆様にお礼申し上げます。今回は大統領選挙のテレビ討論会(あるいはウルトラクイズ)みたいな舞台設定で、それはそれで面白かったんですが、次回やるなら是非カフェ・スタイルでやりたいなと…勝手に思っています。
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せっかくの愛媛・松山。本当は道後温泉にでも行ってみたかったのですが、それはまた次回のお楽しみにするとして、書店などに寄り道してからバスで帰りました。