20190111_Fri LK 第6章「創造的な社会」

新年の初ゼミ。

文献講読中の『ライフロング・キンダーガーテン』は最終章(第6章)の「創造的な社会」に至った。これは私が発表担当しながら読むことになった。

第6章は,これまで4P(プロジェクト,パッション,ピア,プレイ)を通して創造的な思考者を育むことを描いてきたミッチェル・レズニック氏が,「創造的な社会」に向けた難しさを承知しつつも,取り組みへの意欲を再度宣言するような位置付けだ。平坦ではない道のりを歩んでいくために,学習者や,親と教師,デザイナーと開発者に向けたヒントも提供している。

せっかくなのでヒント部分だけ抜き出しておこう。

学習者のための10のヒント(272頁〜)

  1. シンプルに始めること
  2. 好きなものに取り組むこと
  3. 何をすべきかがわからないときは,とにかくいじりまわすこと
  4. 実験することを恐れないこと
  5. 共に働き,アイデアを分かち合う友人を見つけること
  6. (自分のアイデアを加えるために)他のものをコピーしてもOK
  7. あなたのアイデアをスケッチブックに残すこと
  8. 構築し,分解し,再構築すること
  9. こだわりすぎると,うまくいかないかもしれない
  10. 自分自身の学びのヒントを作ること!

親と教師のための10のヒント(282頁〜)

  1. 発想:アイデアを喚起する例を見せる
  2. 発想:突き回すことを推奨する
  3. 創作:幅広い種類の材料を提供する
  4. 創作:あらゆる種類の作り方を受け入れる
  5. 遊び:作品そのものではなくプロセスを強調する
  6. 遊び:プロジェクトの時間はたっぷりと
  7. 共有:マッチメイカーの役割を果たす
  8. 共有:コラボレーターとして参加する
  9. 振り返り:(本気の)質問をする
  10. 振り返り:あなた自身の振り返りを共有する

(おまけ)スパイラルを続ける

デザイナーと開発者のための10のヒント(293頁〜)

  1. デザイナーのためにデザインする
  2. 低い床と高い天井をサポートする
  3. 壁を広げる
  4. 関心とアイデアの両方につなげる
  5. シンプルであることを優先する
  6. デザインを使う人びとを(深く)理解する
  7. 自分自身が使いたいものを発明する
  8. 小さな学際的デザインチームをまとめる
  9. 大勢の意見を取り入れつつ,デザインを制御する
  10. 繰り返し,繰り返し,そしてさらに繰り返す

それぞれのヒントに解説が加えられているし,ここまで読んできた読者にはそれぞれが何を意味しているかはすぐに理解できるだろう。

この章には,レッジョ・エミリア・アプローチの話も登場する。

『ライフロング・キンダーガーテン』(生涯幼稚園)という書名は,筆者の所属している研究グループの名前であるとともに,個々人の創造力を最大限に伸ばすことができる学びのスタイルであるという考えを象徴するものだが,その具体的な姿をレッジョ・エミリア・アプローチに求めているわけだ。

レッジョ・エミリア・アプローチとは,ローリス・マグラッツィ氏たちがイタリアの小都市レッジョ・エミリアで始めた幼児教育の取り組みのことである。街と市民を巻き込んだ取り組みであることから,都市名が手法の名前として定着している。

モンテッソーリさんの教育アプローチがモンテッソーリ・アプローチであるのに倣えば,本当ならマグラッツィ・アプローチとでもなりそうであるが,そうでないところがレッジョ・エミリア・アプローチの特徴をよく表しているともいえる。つまり子供たちの育ちは社会そのものの営みと密接にかかわり合っているということだ。

こうしたアプローチの特徴的なこととして,本書でも取り上げられているのが「学びの可視化」であり,子供たちの取り組むプロセスをできる限り見える形で記録しアクセスできるようにすることである。

他と協働する際には,こうして可視化されたものを相互理解の材料として活用しつつ,クリエイティブ・ラーニング・スパイラルをぐるぐると回していくことが必要なのだろう。

著者も,さまざまな構造的障壁を打ち破る必要性と難しさについて考えを巡らしながら,創造的な社会に参加する子供たちを育むために時間と労力をかける価値がある取り組みだと締めくくっている。

マグラッツィ氏の詩「100の言葉」は,あちこちの翻訳書に登場している。

今回も一部が引用されているが,その翻訳は訳書ごとに細部が変わっている。日本語にしたときの詩的な表現をどのようにアレンジするかによって,言葉や翻訳の程度は変わり得るが,いまのところ,どの翻訳も一長一短がある。実際に詩的に音読しようとしたときには微妙に変えてしまいたくなることが多い。

こうやってあらためてゼミ講読をしてみて,Scrachやプログラミングに少々縁遠い学生たちでさえ,今回の本からいろいろ学べて面白かったと感想を述べている。本書『ライフロング・キンダーガーテン』はScratchに関心のある人びとがもっとたくさん読んで話題にしていてもよいように思う。

20181221_Fri

専門ゼミナールは年内最後も文献講読。

ライフロング・キンダーガーテン』は第5章「遊び」について。いよいよ4P(Project, Passion, Peers, Play)の4つ目ということになる。

最初に出てくるエピソードは,著者であるレズニック氏がアムステルダムの会議の隙間に訪れた「アンネ・フランクの家」での気付き。アンネが置かれた当時の状況と日記から垣間見られる彼女の「遊び心」(playfulness)の精神の対比を印象深く綴っている(217-218頁)。ここから「遊ぶこと」(playing)に対する一般的な認識への吟味と4Pのもとでの「遊び」(play)の議論が始まる。

筆者が特に触発されたというのは,ジョン・デューイが「遊ぶこと」(play)という活動的な側面から「遊び心」(playfulness)という態度という側面に着眼点を移したことだという(220頁)。つまり,ここで述べる「遊び」とは遊び心の発動や駆動のことであり,必ずしも笑うことや楽しいことをして過ごす時間のことではなく,「実験すること」「リスクをとること」「限界を見極めること」といったことから得られるのだとしている(218,219頁)。

このあとレゴ財団のあるデンマークにおける「遊び」を表す語(spilleとlege)についての紹介(228頁)も出てくるが,学生たちとの話し合いの場では,playの多様な語義と日本語の「遊び」「遊び心」について,ごっちゃ状態が残っていたようなので,あらためて学生たちに,アンネの心情と重ね合わせながら自分が遊び心を発動する場面について考えて発言してもらった。自分のシチュエーションで遊び心が誘われるコントラストある状況を感じてもらおうと考えたからである。

さて,創造的思考者として成長するための遊びとは?

この章では「ティンカリング」という言葉も登場し,序章で紹介されていた「クリエイティブ・ラーニング・スパイラル」のプロセスをぐるぐると回していくのが得意そうな「ティンカラー」という存在にスポットが当てられている。ティンカラーはボトムアップなアプローチを得意とする人たちのことである。

対比する存在として,トップダウンなアプローチで,みっちりとより良く正しい方法で計画を立てて,一度で物事を済まそうと努力するタイプを「プランナー」と称している。

レズニック氏は,プランナーを否定しているわけではないものの,創造性と俊敏さを得るのはティンカラーで,予期せぬことが起こったときや新しい機会が生まれたときに有利な立場であるのもティンカラーだと考えていることを勘案するとティンカラー推しであることは明白だ。むしろ,一般の人々や教育者が,すべての科学者をプランナーだと誤解していることやティンカリングという在り方に懐疑的であることを,不思議に思っている。

「創造的思考は創造的ティンカリングから生み出されるのです」(237頁)とまで書かれれば,問題はその創造的ティンカリングを保障する条件や環境と,その評価ということになる。

このあとも,遊ぶ子供たちを「ドラマティスト」と「パターナー」とに種類分けしたり,ドウェック氏の2つのマインドセット(本書では成長型と固定型)について触れたり,学習者に十分な時間を与えることや各人のコンフォートゾーンを安心して踏み外すこと,間違いは作成過程の一部であることが触れられており,盛りだくさんだ。

学生たちは,なぜかアンネ・フランクのくだりが気になったらしい。

アウシュビッツを見学してみたいんだとか。そういえば映画「シンドラーのリスト」が25周年を迎えるタイミングである。それから何の偶然か,レズニック氏のMedium(ブログ)のアンネ・フランクに関わる記事のリンクがメールで舞い込んだりした。

ちなみに252頁の「留学生評価プログラム(PISA)」は,正しくは「生徒の学習到達度調査(PISA)」だと思われる。単なるチェックミスだと思うので,いつかは訂正が入るだろう。

20181214_Fri

専門ゼミナールでは文献講読。

ライフロング・キンダーガーテン』の第4章「仲間」を読んだ。全体の中でも重要な部分で,空間デザインや学習コミュニティといったキーワードが出てくる。

グラフィカルなプログラミング環境として知られるScratchの誕生秘話というか,何を目指して開発されていたのかが読めるという意味でも本章は興味深い。

168頁で「多くの人はスクラッチをプログラミング言語だと考えています。もちろん,間違いではありません。しかし,スクラッチに取り組んでいる私たちは,それ以上のものだと見なしています。」と書いており,「若者がお互いに,創造し,共有し,学び合う,新しいタイプのオンライン学習コミュニティを創造することでした。」と書いていることはもっと広く知られるべき箇所だろう。他にもスクラッチの名前の由来なども書かれている。

学習コミュニティのオープン性について,たとえば他の人の作品をもとに何かを作るリミックスという仕組みに関して,従前の学校だとそれは不正行為と見なされていることではあるが,スクラッチのコミュニティではむしろリミックスされることは誇らしいことだと思える文化を醸成しようとしていることなども述べられている。

発表担当学生が一番気に入ったというのが「気遣いの文化」という節であった。

学生が印象に残ったとした部分は…あるスクラッチユーザー(スクラッチャー)の子が「スクラッチコミュニティの良いメンバーであるとはどういうことか」という質問に対して返した答えが「最も大切なことは,コメントで『意地悪に振る舞わないこと』」だった点(184頁)。

さらに,スクラッチのモデレーターがコメントやプロジェクトを削除しなければならないときに説明する内容として「スクラッチャーは,他のスクラッチャーが自分は歓迎されていないんだと感じさせない限り,自分の宗教的信念,意見,そして哲学を,自由に表現することができます」という部分(190頁)。この「歓迎されていないんだと感じさせない」という箇所が特に関心を引いたようだ。

またこの章では「教え方」について,良いメンターが「触媒」「コンサルタント」「媒介者」「コラボレーター」といった役割の間を行ったり来たりしていることが書かれていたり,仲間がいるだけでも十分ではなく,「専門家」を必要とする場合もあることなども指摘されている。

ここで論じられている学習コミュニティにおける気遣い文化を考えるとき,日本文化の角度から見るとまた違う課題もありそうな気もするが,その点についてはまた機会をみつけて考えてみたい。

残業はWindowsに泣かされる。

たまに使おうとするせいだとわかってはいるが,いざというときにまともに動いてくれないのが困る。

20181207_Fri

専門ゼミナール。

ライフロング・キンダーガーテン』を講読中。私のゼミの学生だからといって必ずしもコンピュータに詳しいわけではないため,Scratch等のテクノロジーやプログラミングの話への敷居は低くないものの,それぞれ頑張って担当部分をまとめてくれている。

先回,第2章「プロジェクト(Projects)」の発表者は,「考える玩具」ではなく「考えさせる玩具」を…という部分に関連してクリエイティブ・ラーニング・スパイラルが興味深いと語った。ただ,「流暢に表現できる能力」という節部分(92頁)がよく分からなかったというので,それをみんなで議論して読み解いてみた。

たぶん文献の該当部分がプログラミングやコーディングの例をベースに記述されていることが,難しさを生んでいたのかも知れない。たとえば「コーディングには基本技術と表現力の両方が必要だ」という記述やそれに続く文章を読むと,「流暢さ」が何を指し示したいのか分かるようにはなっているはずだが,たぶん先制パンチを受けて確信が持てなくなっているのだと思う。

ゼミ生それぞれの得意とする物事に置き換えて考えれば,流暢さに続く「思考力」「声」そして「アイデンティティ」についてもなんとなく見えてくる。そうしたものを発揮するにもプロジェクトは重要なのだと考えられる。

今回は第3章「情熱(Passion)」について読んだ。

いろいろ興味深いキーワードが登場する章なのだが,先回と同じように印象的なところはどこだったか聴くと,「低い床」「高い天井」そして「広い壁」という喩えがあがった(118頁)。それから,「ハードファン(Hard Fun)」について触れたところの,教師や出版社の多くは子どもたちが「物事が簡単であること」を望んでいると考えて学びをより簡単にしようとしている(128-129頁)…という部分も印象に残ったらしい。

「情熱」という日本語だと,どうしても燃え上がるほど熱狂している様を想像してしまいがちだけれども,今回の章を読んで,それぞれが思い入れのある事柄をや互いの様子を共有し合って,他人からすると凄いことなのにどうやら本人は知らないうちに苦もなく続けていたり,取り組んでいることもPassionにあたることが見えてきた。

Passionを意識すべきかどうかは,もしかしたら文化的なものもあって,日本だと自覚しない方がむしろよかったりするのではないかとも思える。もちろん,自覚するメタ認知を働かせて,よい方向に調整できればよいとも考えられるが,日本だと気恥ずかしさがたってしまう可能性もあって,素直なメタ認知が発動しなくなってしまうかも知れない。

議論はそこまでいかなかったけれども,深堀すると面白いのかも知れない。