学びを見通す力を探しに -2

次期学習指導要領案に「学びの地図」という言葉は入らなかったものの,そのイメージは大事にした方がよいと書きました。

ただ,答申に書かれた「学びの地図」の扱い方は実に男臭い感じがします。

かなり前にベストセラーとなった本に『話を聞かない男、地図が読めない女』というものがありましたが,その本の図式を借りれば、答申における「学びの地図」提案は,目標達成を重視する男性的な観点から地図を扱おうとしているようにも読めます。

しかし、学校や社会に目を向けると,実際の性別と結びつくわけではありませんが,男性的な捉え方をする人と女性的な捉え方をする人の両方が混在しているわけですから,「学びの地図」に対する捉え方にも幅を持たせる必要があります。

では,ここでいう男性的な捉え方ではないもの(一方の女性的な捉え方)とは何だと考えたらよいのでしょうか。

私事ですが,学生時代は書店アルバイトを続けていました。若かったので力仕事もある返品作業やら入荷した雑誌の並べのような仕事に関わりました。

その書店は女性社員の方が多かったので、休憩室には新聞以外にもファッション雑誌がずらっと並び,私も扱っている商品の勉強がてら眺めていたという経験があります。

ファッション雑誌には,手持ちのファッション・アイテムをどう着回せばよいのかを指南する「30日間ファッション・コーディネート」のような記事がよくあります。

その日の目的や気分に合わせてアイテムを選択して組み合わせるというのはファッションの一つの難しさであり楽しみでもあるわけです。ファッション雑誌は,そうしたアイテムチョイスとコーディネートの例をずらっとカレンダーのように見せているわけです。

私が書きたいことはもう察しがついていると思いますが,こうしたファッション雑誌流の捉え・考え方を「学びの地図」にも適用できないかというわけです。

教育・学習内容の項目にコード番号が付されて,あたかも音楽のプレイリストのように自分に合った学習リストを作れるようになるということを前回書きました。

この「自分に合った学習リスト」を,まるで自分の部屋の本棚を埋めるように考えるのであれば,それがここで言うところの答申的な「学びの地図」の捉え方ということになります。

しかし「自分に合った学習リスト」とは,自分が身につけるファッションのコーディネートであると考えたとき,そこにはファッション雑誌的な「学びの地図」の捉え方もあるのではないか。

そうすると私たちに足りないものがあるとすれば,学びの「ファッション雑誌」かも知れないし,「モデルさん」なのかも知れないし,「スタイリストさん」なのかも知れない。

子どもたちの学びを見通す力が何なのかを考えるにあたっては,そういう新しい要素の可能性も合わせて考える必要があるのかも知れません。

さて,先生はどんな存在になれるのでしょうか。全員がカリスマ美容師にはなるとは思いませんが,次はそういうことを考えてみたいと思います。

学びを見通す力を探しに -1

平成29年度告示予定の新学習指導要領の案が公表されました。

審議を経て出された「学習指導要領の改善及び必要な方策等について」の答申がもとになっているわけですが、実に様々なキーワードが飛び交った審議と答申でした。

たとえば「資質・能力」「アクティブ・ラーニング」「主体的・対話的で深い学び」「社会に開かれた教育課程」「学びの地図」「カリキュラム・マネジメント」などのキーワードです。

このうち学習指導要領案に残されたのは「資質・能力」「主体的・対話的で深い学び」「社会に開かれた教育課程」「カリキュラム・マネジメント」といった言葉でした。

「学びの地図」という言葉が学習指導要領案から落ちたのは少し意外でした。先の答申でも

「学校教育を通じて子供たちが身に付けるべき資質・能力や学ぶべき内容などの全体像を分かりやすく見渡せる「学びの地図」として、教科等や学校段階を越えて教育関係者間が共有したり、子供自身が学びの意義を自覚する手掛かりを見いだしたり、家庭や地域、社会の関係者が幅広く活用したりできるものとなることが求められている。」(20-21頁)

と書かれている通り,教科横断的な資質・能力を育んでいこうとすることを前面に出していく次期学習指導要領や今後の学校教育において,学びを見通す「地図」というイメージを打ち出すのは大事と思うからです。

もちろん堅い言い方として「教科等横断的な視点」という表現が全体を鳥瞰する姿勢を示しているのでしょうし,のちに作成される手引きにおいて「学びの地図」という考え方が解説されるのでしょうから,まるきり消えたわけではないと思います。

とはいえ,もう少し教育課程(学習内容)全体を見通す行為を,学習者にとっての「地図」の作成や読み解きとして捉えていく立場を強調しても良いのではないかと考えます。

文部科学省は2月8日に「学習指導要領における各項目の分類・整理や関連付け等に資する取組の推進に関する有識者会議」を設置すると決定しました。

この会議は「次期小・中学校学習指導要領を一定のコードにより整理していくに当たっての,基本的な方針や留意点等の整理,それに基づくコード試案の作成」のための検討を行うことが目的です。

すごく乱暴にいえば,学習指導要領の教育内容項目をバラバラにしてコード番号を付す作業を目指しているわけです。

これはつまり,音楽アルバムをiTunes等の音楽配信サイトで曲単位の販売・配信したときと同じことが起こることを意味しています。アルバム側の楽曲リストに縛られず,リスナー側のプレイリストで音楽を楽しむという流れのことです。

学習指導要領の教育内容項目にコード番号を振り、教科を越えて関係する教育内容項目の組み合わせをコード番号で表現しやすくなれば,学習者にとっての学びの組み合わせ(地図あるいはプレイリスト)を作成することが容易になるわけです。

図書館情報学の分野ではメタデータに関する知見の蓄積がありますが,この有識者会議においても今後そうした知見が踏まえられながら検討が進められることになると思います。

システマチックな学びの地図の基盤を整えることも大事ですが,学校における教育学習活動の中で,子供たち自身が自分の学びを見通す力をつけることを考えることも大事になります。

次はそのことを考えてみたいと思います。

20150930 岡山県新見市教育情報化推進協議会

 岡山県新見市で教育情報化推進協議会が開催され,外部識者として会議に出席しました。

 文部科学省「ICTを活用した教育推進自治体応援事業(ICTを活用した学びの推進プロジェクト)」の「ICT活用実践コース」に岡山県新見市が採択されたことで,私にご依頼いただいた次第です。

 新見市は,これ以前から総務省「ICT絆プロジェクト」「フューチャースクール推進事業」および文部科学省「学びのイノベーション事業」を利用して市内の小中学校を実証校として学校の情報対応を試みてきた地域です。

 フューチャースクール実証校巡りをしていた私は,iPadを導入機器として選んだことでも話題となった新見市立哲西中学校にお邪魔をしたことがあり,2度ほど新見市に足を運んでいました。そんなご縁もあって,今回,外部識者としてお声がけいただきました。

 昨年には,新見市内6校の中学校に1人1台のタブレット端末が配布されました。

 先行して実証実験に取り組んでいた哲西中学校での成果を踏まえて,「ネットワーク環境」「1人1台タブレット端末」「教室の端末とIWB」「ICT支援員」という4点セットが重要性であるとして他校も整備したそうです。

 現時点で,各校の進捗は様々で,先生方のスキルや意識を醸成しながら,各校のテーマに沿った取組みを加速していくことが求められているようです。

 また対外的には,端末導入による成果を具体的に提示することが求められていて,端的に「学力向上」に結びつく何かしらの数値を求める声も強いのは,関係者として悩ましい課題です。もちろん,今回の新見市の事業は,学習指導の質の向上を通して,その先の学力向上を目指しています。とはいえ,決して小さくはない予算を使っての取組みです。分かりやすい成果を必要とする世界が隣り合わせていることは,どの地域の取組みでも同じことだと思います。

 ただ,ICTの効果に関して,次のように記している文献があります。

「(前略)学習に対する「ICT」の効果に関する議論は、あまりに曖昧で広すぎる。それはまるで、学校教育における本の効果はどのくらいかを尋ねるようなものだ。もちろん、それは本自体に左右されるし、読みのプロセスや学習者、そして期待される成果によっても異なる。同様に、コンピュータ代数システム(CAS)や補習用数学ソフトといった数学のソフトウェアで学習するのと、非同期型学習ネットワーク(ALN)、電子書籍、SMS、Google、コンピュータゲーム、知的認知システム、あるいはWikipediaなどを併用して学習するのでは違う。この点について、エビデンスに基づきながら導き出せる一般的な結論は、次の2点である。すなわち、1)ICT環境の効果は慨して、ICTの特徴のみならず、学習プロセスや成果をモニタリングし、制御し、振り返る生徒の能力によっても大きく左右される。2)以下に述べるように、様々なICTの特徴に合わせて、メタ認知的足場づくりを修正することができる、ということである。(後略)」

(OECD教育研究革新センター『メタ認知の教育学』明石書店2015、
217-218頁)

  つまり,ICTの効果は,活用に際して働くメタ認知の在り方に深く関係するのだとする考え方です。よって,そのようなメタ認知が育まれるためには,盲目的な利用に陥らないように学習活動への配慮をする必要があるということなのです。

 分かりやすい学力向上を示すのであれば,読書やICT活用よりも,ひたすらドリル練習でも繰り返せば結果を示すのは簡単です。しかし,ドリルを解くようなやり方ではこの時代の問題に対応できなくなっているというのが,そもそもの話の発端だとするならば,読書やICT活用をどのように運用すれば課題解決に結びつけられるのか,その能力こそ求められていると理解してもらう必要があるのだと思います。

 「メタ認知」や「自己調整学習」といった言葉は,専門領域では少々過剰摂取されすぎた感も無きにしもあらずですが,そろそろ一般社会における議論において理解してもらうべき段階に来た言葉なのかも知れません。

 今回の文部科学省「ICTを活用した教育推進自治体応援事業(ICTを活用した学びの推進プロジェクト)」では,各自治体において,「メタ認知」の獲得について,どのように分かりやすく指標や記述を表していくのか,そのことが共通して通底する課題になっていくのではないかと私自身は思っています。

 岡山県新見市までは,徳島から電車に揺られて4時間。都合で岡山に前泊してから翌日会議で帰宅するというスケジュールでした。お出かけ前にいろいろあって大変でしたが,なんとか無事に行って帰ってきました。

アプリやサービスをレビューするということ

 日頃,教育と情報のフィールドを眺めていると,様々な製品やサービスに触れることになります。自分に合っているものを選択できるというのが一番よいことなので,基本的には「あるべき」形が一つに定まることはないと考えています。

 しかし,教育関係のアプリやサービスについて評価したり論じる必要もあるため,私なりにレビューの観点を持たなければなりません。とはいえ,これも固定的な観点があるというわけではありません。対象のアプリやサービスの目指しているところで評価するに当たって,次の問いかけを軸にして観点を探していくことにしています。

 「なぜ他の方法や形式をとらず,どんな理由でそのようになったのか」

 この問いかけに尽きます。

 私個人は構造がシンプル(簡潔)で柔軟性があり,飽きのこないデザイン,外部に対してオープンなものであることを嗜好します。その方が利用者側として「分かりやすい」と経験的に感じているからです。

 しかし,もしそうしない理由が他にあるのであれば,その理由を尊重すべきと考えています。つまり複雑なものになった理由が目指すものに照らして納得できれば,そのことを否定はしません。ときに簡潔さと柔軟さは相反要素になりますし,バランスの問題は常に悩ましい論点ですから。

 けれども,ときどきその理由が見えないものにも出くわします。

 他に分かりやすい方法がありそうなのに,そうしなかった例を見ると,その理由を探ろうと試行錯誤したり想像を巡らせるのです。アプリやソフトの場合は,プログラミングのレベルに遡って,たとえば「基本ソフトの制限だから」とか「設計上で別々に扱わざるを得ないから」とか,考えられる理由があります。それが納得できれば仕方ないことになりますし,納得できなければ努力が足りないということになります。それはそのアプリやソフトが何を目指しているかによるわけです。

 ネットサービスの場合も設計やプログラミングの話がありますが,サービスを利用することで,利用者がどのような行動をとって,どう変化したり,どう利用を継続していくのかという利用モデルやユースケースといったものを描いて,それが納得できるものかを検討することになります。たとえば授業支援システムの類いを利用すると先生や児童生徒はどんな行動を強いられたり,どんな学習活動を実現できて,その後もどのようにサービスと関わっていくのかを想像しなければなりません。それが現実的か非現実的かを見極めるわけです。

 教育工学という学問は,まさにそういう研究をしているものということになりますが,実験環境を整えて統計的な調査をするという次元に至らずとも,「なにゆえそうなのか」という問いかけはいくらでも可能です。場合によっては哲学的な問いかけとして考えることもできると思います。

 私のこうしたスタンスは,レビューを文字にすると相手に対して厳しい批判になってしまうことは重々承知しています。ダメ出しばかりしているように読めるのは私の文才の無さゆえですが,しかし,「なにゆえそうなのか」という問いかけはとても大事だと考えます。

 もちろん多くの場合で「なにゆえそうなのか」という問いに答えがないこともあります。考えていなかった,気づいていなかった,分かっていたけどできなかった,そう問う必要はなかったから…そういう答えもあり得ます。ならばそれが現時点での問いへの答えというだけのことです。

 「なにゆえそうなのか」という問いを踏まえて,その後,アプリやサービスがどう更新されていくのかが淡々と評価されていくわけで,悪くなるのか良くなるのかは,その時々の評価結果次第ということになります。

 そう考えると,巷のアプリストアで書き込まれているアプリレビューの内容は,レビューする立場としてもう少し考えてから書いて欲しいと思えるものが多すぎます。「使えね,氏ね」なんてレベルのものはかつてより少なくなりましたが,それでも感情丸出しのものは今も少なくありません。

 プログラミング教育に注目が集まっているような雰囲気もありますが,そのような取り組みの中には,同時に他者のプログラミングに対する視点を育むということも含まれてくると思います。単にプログラミング言語を習得し,ソフトウェアの構造を知るだけではなく,その知識を踏まえてソフトウェアやプログラミングの文化をどう育んでいくのかという考え方や態度の面についても関心を高めていく必要があると思います。

 私自身もダメ出し文章が多いことを自戒しながら,もう少し建設的なレビューを会得したいなと思います。

[memo]教育とICT界隈の素朴概念

 私たちは経験や過去の出来事を通して物事の理解をすることがありますが,そのよう日常的な経験から育んだ考え方を「素朴概念」という風に呼びます。素朴概念は日常の中では通用しているようにみえても,よくよく全体を学んでみると誤解を含んでいた可能性があるというものです。

 教育とICTの界隈で,「そうとも言えるけど実はそうでないこともある」「いま起こっていることの一因はこんなことでもあった」「かつてはそうだったけれども,今はそうではなくなっている」というような事柄をメモっておこうと思います。

授業でのICT活用 → 理解が深まる授業 [× 授業ICT活用 → 学力向上]

ICTを介した他者への依存/他者からの承認の欲求の顕著化 [× ICT依存]

 

因:教員にICT機器を使い倒させて善し悪しを確かめさせていない 果:教員がICT活用に不安で消極的

因:モバイル端末による学習を提供できていない 果:モバイル端末はゲームにばかり使われる

 

今:ソフトウェアによるネットワーク構成の切り替え  旧:物理的なネットワーク配線による構成

 

コスト[学習コンテンツへのアクセス促進 > 有害サイトのフィルタリング対策]

信頼性[クラウドサーバーの保守とデータ保管 > 自前サーバーの管理とデータ保管]

漏えい対策のしやすさ[クラウドストレージ > USBメモリ]