台湾人の話し言葉その2

BUO KIYA BUE CHUT MIYA
(無行没出名)

 行は行動のことだ。ブオキイァ(無行)は行動を発しない意味で、出名は有名だ。有名人は例外なく行動する人である。したがって世に知られるためには何かをやらなければならないことになる。この言葉は実践または行動の重要性を言い表している。行動がなければ結果がうまれない。もしくはよい結果をうるためには、実践または行動あるのみだ。このことばはこのことを教えている。
 気の進まないまま仕事に取り組まなければならない場合、台湾人はブオ キイァ ブエ ツゥミィアといいながら重い腰をあげる。不謹慎ものが多いと嘆くよりも、彼や彼女等にも行動する義務感があると解釈してもよいであろう。

CHI HE BUO NENG HE
(一好没二好)

 好は優れたもの、長所である。没は有と対になって”有_没_”の形であるなしを現す。有一好没二好の有を省略すると、一好没二好となり、ある点が好くても別の点ではよいとは限らない。または、最初か一つ目のことは好くても、次か二つ目のことは悪いかもしれない、と言った意味を表現する。
 人には得意とするものがあり、欠点もある。また、物事には優れた点も欠点も兼ね備えもつのが世の常である。だとすれば、よい点を強調する場合、欠点も忘れるわけにはいかない。「一好没二好」はまさにこれを意識した表現である。完璧無欠なものはまれであるというバランス感覚をこの言葉は示している。この言い方の精神を理解すれば、人は自分自身のことについて過度な自慢を自戒するであろうし、他人の優れた業績や持ち物を見ても冷静に受け止める事が出来ることにもなる。

Neng toh chiun gut
(軟土深骨)

 弱肉強食のことである。対立関係の当事者は、有利な立場に立つものと不利な立場にたつものとでは言い分が分かれる。加害側は平気でも、被害側は不満を抱くのは当然なことである。このときに被害者がこのことばを使えば、相手の不当な行為と不公平な態度をあばくのに便利である。弱いものいじめは社会正義に反するとおもわれるゆえ、相手が強いにもかかわらず、自分のような弱いものをいじめたのだと一般にこの事実を公開することで相手を糾弾する。弱肉強食と非難されるのは気持のいいことではないという共通意識を生かす用語法として利用される。

Ai Kha Bue Si
(愛甲買死)

 好きで好きでたまらないという意味だ。
 愛はアイラブユーの愛としても使えるが、欲しいとか好きとかの意味としても使える。「買死」(beisiとも発音する)は甚だしい程度を表現するときに使う。人生は愛があるとともに恨みも生じる。憎くてたまらないことは「恨甲買死」(Hin Kha Bei Si)または(Chei Kha Bei Si)といえばよい。

Tiah Kha Bei Hai
(痛甲買害)

 目に入れても痛くないや、痛くてたまらないの意味として使う。「買害」は「買死」と同様に程度の甚だしいことをあらわす。痛を溺愛として使えば、前者の意味になるが、痛みとして使えば、後者の意味になる。
 子供をことのほか溺愛する人は、「痛子痛甲買害(買死)」人であり、愛玩物を愛好する人は、愛車なら愛車愛甲買害である。愛鳥家は愛鳥愛甲買害である。


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