台湾人の話し言葉その3

Tao Kei kiam Cin Luo
(頭家兼新羅)

 自営業者の中では経営と管理の二役を同時に担う例がある。ボスでもあり、雑係でもあるような立場にあるものはこのことばがピッタリ当てあまる。私はこれを生計型の経営と呼ぶ。営利のために企業を経営することには変わりないが、そもそも自己雇用の目的もあって事業を経営する。零細経営にこのタイプの例が多い。しかし、私はタウケー・キャム・シンローとシニカルに言える人は偉いと考えている。自己雇用を創出し、自己責任で生計を立てる自信があってこそ自嘲もできるのである。
 私の住む団地内にかなりの規模の雑貨屋があった。高齢となったオーナーが引退した直後に若い後継者が店をたたんで会社勤めに出た。この方が気楽で収入もそれほど違わないと計算したからだという。その先代の考え方を本人がこの世を去る前に確かめる機会を失った。さて、台湾では今日でも日々労苦をいとわない人による零細経営が盛んである。至る所でタウケー・キャム・シンローのケースに立ち会うことができるのだ。

Wu Wei Buo Tei Kong
(有話没帝講)

 言い分を聞いてもらえないことをこのように表現する。没帝講(Buo Tei kong)は話を聞いてもらえる人または場所がないことだ。人生は時と場合に不平等や不条理な状況に直面させられることは避けられない。不当な扱いや身に覚えのない濡れ衣を着せられた場合、自分の潔白を主張するのは当然のことである。しかし、言い分を主張できない場合も少なくない、このときよく使われる言葉がウー・ウエー・ボゥオ・テエー・コンなのだ。

Bua Lang Sai
(半籠師)

 未熟者のことをプゥア・ラン・スアイという。暮らしや仕事の上では経験がものを言うことが多い。これは情報時代でも例外ではない。いきなりベテランになることは現実の世界ではありえない。能力主義が重視されるといってもそれはブレイクスルーができるかどうかの話であり、同一領域における経験を全面的に否定するものではない。生半可な知識をもって分不相応に行動する人や実践的経験の欠如したものに対し、台湾人はこのような称号を与える。

Sim Tao Lia Ho Tiya Si
(心頭拿呼定)

 落ち着いた心を保つことや決心するようになる状態を表す。ホ・ティヤーは動詞のリィヤの後ろにつけて安定した状態を保つことを言う。チィア・ほ・バァー(たらふく食う)、チェン・ホ・シイョ(暖かく着込む)、リャ・ホ・テイッツ(真直ぐなるように持つ)などの例のようにある種の動詞が示す動作の効果や状態を表現する場合、ホが使用される。決心する結果は心をリャ・ティヤーしたことで、決心する状態になることは心をリャ・ホ・ホティヤーと言うのである。

Tei Chi Tuo Ho He
(代志作呼好)

 仕事はキチンとやれと言う意味だ。タイチーは仕事や取り掛かっている用件を指し、ツゥオは実行することだ。行うという動詞の直後につけるホ・フゥオは適切な行動を表現し、取り掛かっている仕事をキチンと処理するようにとこのことばは表現する。動作が正しく行われるようにせよというときは、動詞+ホフゥオといえばよい。ホは調子がいい、状態が良好という意味だから、キィア(歩く)・ホ・フォゥオは注意して歩きなさいであり、チエー(座る)・ホフゥオは間違いのないように腰掛けるよう注意を促すときにも使う。



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