台湾の社会経済的推移

 第2次世界大戦の終結とともに台湾は、国民政府の中国に再び統合されることとなった。国共対立局面下の国民政府は台湾を「反攻大陸」の基地として経営した。

 台湾の国民党政権は中国の正統政府として「中華民国」の国号のもとで大陸復帰の日を待ちつづけた。この間、アジアニーズの一員として経済建設に成功したが、国際政治の舞台ではしだいに孤立への道を歩んだ。

 歳月が流れるにつれ、東西緊張緩和が実現し、ベルリンの壁が崩壊するなど分裂国家の統一が時代の流れとなった。また中国の世界進出や両岸交流の進展など国際情勢が変化する一方、台湾内部でも民主化の圧力が高まった。国民党政権は施策面で譲歩せざるをえないこととなった。

 万年議員の補充選挙を始め、政治の民主化が徐々に実現する方向へと進んでいった。そしてついに直接選挙による総統が選出されるようになった。台湾人はこれを「出頭天」といって喜んだ。それ以来、台湾は民主社会の確立に必要な数々の試練を受けながら急速に変容してきた。

1947年 228事件発生
1949年 台湾全土戒厳令施行
1950年 蒋介石総統に復帰;朝鮮戦争勃発
1951年 「三七五減租条例」公布
1952年 「中国青年反共救国団」組織されろ
1960年 台湾横断公路開通
1967年 台北市行政院の直轄市となる
1971年 国連離脱
1973年 日本と断交
1974年 「十大建設」開始
1975年 蒋介石総統逝去
1978年 蒋経国総統就任
1979年 美麗島事件起こる;対米断交
1980年 立法委員部分選挙
1981年 地方選挙で非国民党勢力躍進
1984年 レーガン米大統領訪中。
1986年 民主進歩党結成
1987年 戒厳令解除
1988年 蒋経国総統逝去;李登輝総統就任
1990年 李登輝総統に選任される
1992年 立法委員第2期選挙
1993年 外省人の「新党」結成
1994年 3大首長選挙
1996年 李登輝総統直接選挙で再選
1997年 台湾廃省;地方首長選挙
1998年 直轄市長・議員選挙
1999年 集集大地震
2000年 陳水扁総統に就任


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