第2次世界大戦の終結とともに台湾は、国民政府の中国に再び統合されることとなった。国共対立局面下の国民政府は台湾を「反攻大陸」の基地として経営した。台湾の国民党政権は中国の正統政府として「中華民国」の国号のもとで大陸復帰の日を待ちつづけた。この間、アジアニーズの一員として経済建設に成功したが、国際政治の舞台ではしだいに孤立への道を歩んだ。
歳月が流れるにつれ、東西緊張緩和が実現し、ベルリンの壁が崩壊するなど分裂国家の統一が時代の流れとなった。また中国の世界進出や両岸交流の進展など国際情勢が変化する一方、台湾内部でも民主化の圧力が高まった。国民党政権は施策面で譲歩せざるをえないこととなった。
万年議員の補充選挙を始め、政治の民主化が徐々に実現する方向へと進んでいった。そしてついに直接選挙による総統が選出されるようになった。台湾人はこれを「出頭天」といって喜んだ。それ以来、台湾は民主社会の確立に必要な数々の試練を受けながら急速に変容してきた。
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