生活の現場に信仰が存在する

 信仰生活は日常生活の一部となっている。人々の信仰心の強さは、寺院の建立や祭りなどの形で示されている。巡礼や祭典のために多大な出費と多くの時間と労力が払われている。人々はこれを喜びとして苦労もいとわずに毎年繰り返す。準備する人、作業する人、見物する人・・・人それぞれ何らかの役割を担って敬謙な気持ちと感謝の心で毎年その都度の行事を成功させるのに余念がない。

 寺院や廟観が居住地区に建造されている。一般市民の住居が廟や寺と並んで構えられている。神様はお隣である。神様の神殿に人々が集まる。ケースは様様なスタイルを取る。日常的な参拝や定期的な祭事は当たり前の集会である。この他、隣組の集会所として近隣の住民が参集する。格好の親睦の場にもなる。町の講談師が定期的に武勇伝など民間故事や歴史小説を語る場としても利用されたりする。なんと言っても神様の庭先や内庭は子供たちの格好な遊び場である。

 経済成長の成果を感謝の気持ちで神様にささげるのは台湾人も例外ではない。神様の思召しなら寺院一つを寄進するほどの人物も時には現れる。財力に応じて神様に宮殿をささげるからさまざまな規模の神殿が住宅地の周辺に多く出現する。台湾の民間で信仰されている神様は多くを要求しないが、しかし神様のためにとの願いで人々はベストを尽くす。人々は定例の祭祀を怠らない。たまたま5月に訪れた東港の東隆宮では3年に一度行う王船を焼く準備で人々が走り回っていた現場に立ち会った。その時撮った次の写真は龍舟競争に使用する競技船である。


目次に戻る