伝わるものを見極める

書店に寄ると目移りするほど面白そうな本があるわけですが、今回あらためて知ってみたいなと思ったのがこの本でした。

褒めるだけでは子どものためにならないという見識は、だいぶ広まってきているように思います。あらためて、そのことについて分かりやすく説明する文章を読みたいなと思ったところで、島村さんの本を見つけました。

島村さんの本では、褒美や罰を使いながら子どもの行動をコントロールするような接し方を「条件付きの接し方」と呼び、愛情をエサにする接し方であるとも表現しています。

その具体例として紹介しているのは、子どもとしている毎晩の絵本読みの約束を、子どもがぐずったときに罰として取りやめてしまうようなケースです。こうすると親の思う通りに行動しないと愛情が引っ込められてしまうと子どもが思うようになるというわけです。

あまりネタバレしてしまうと申し訳ないので、最後にこうした条件付きの子育てをすることによるデメリットとして島村さんが書いていることだけ紹介させていただくと…

  1. 短期的にしか教育効果がない
  2. 条件付きの自己肯定感しかもてなくなる
  3. 親子関係が悪くなる
  4. 世代を超えて引き継がれる

とのこと。そして、この後は、子ども全体を見てあげられて、考え方や行動の理由を考えていくような「無条件子育て」について紹介が続いていきます。

いろんな切り口があると思いますが、この話を読んで浮かんだのは、ベイトソンの「学習とコミュニケーションの階型論」でした。私たちは無意識のうちに子どもたちをダブルバインド状況に囲い込んでしまうのだなということ。そこから抜け出すためにも相手の思う通りに行動するよう追い込まれるのかなと思えます。

そのときにもう一つ思うのは、マルザーノのタキソノミーに付随する「行動のモデル」でした。

もしも親などの大人たちによる条件付きの接し方にさらされ続けたとしたら、本来は認知システムやメタ認知システムの積み上がりで自律システムによって新しい課題への行動の着手が決定されるはずであるところが、大人の意図や愛情をエサに行動が統制されることになるわけで、システムの重層性によって成り立っているモデルのあちこちに空洞が散見される状態を招いているかも知れない。そんなことさえ想像させます。

この頃は当たり前のことばかり頭を巡ります。

結局、教育の問題は、子どもたちをとりまく大人たちの問題なのだということ。環境を構成する大人たちの在り方や受け止め方が強く影響するのだということ。しかも、意図せず後続世代に何かを押し付けてしまう可能性があること。

私たちは何を伝えてしまっているのか。

丁寧に見つめ直して考え直していかないと、まったく望まないメッセージを伝え続けている可能性さえあるのかも知れません。

パソリッチとナンバーバンク

パソリッチとナンバーバンクというのは、Scratch3.0拡張機能のことです。

グラフィカルプログラミング環境のScratch3.0用拡張機能について、このブログで幾度か書いてきました。

小学校家庭科[消費生活・環境]とプログラミング教育
スマートカードとScratch 3.0と教育と
PaSoRich – ICカードリーダーをScratch3.0で

プログラミング体験やら教育やらの話題を見れば、算数や理科における単元内の例示に始まって、シングルボードコンピュータと呼ばれるmicro:bitなどの利用、各種ロボット教材の導入、双方向ネットワークを扱う教材や注目を集める機械学習やAI技術をモチーフにした取組みなど、実に賑やかです。

それぞれに良さがあるのは承知していますが、それらに加えて、家庭科教育で消費生活システム(たとえば電子決済システム)を学ぶ視点から深堀りしていったほうが面白いのではないか、と投げ掛けたのが最初の記事でした。

そして、Scratch3.0でICカード(スマートカード)リーダーが読めたら面白いよね、という発想からでき上がったのが「PaSoRich」でした。

スマートカードをScratch3.0で
https://con3.com/sc2scratch/

カードを識別することで、それぞれに紐付いた情報を処理するプログラムを書くことが出来るようになります。最近話題のAI・機械学習系だと、画像を識別するのに応じた処理をするプログラムを組むことになりますが、いわば、その前段レベルが可能というわけです。

PaSoRichのおかげでリーダーをつなげた端末でカードを読み取れるようになりました。それをもとに電子決済シミュレーションのプロジェクト(プログラム)も作成しました。

けれど、あくまで1台の端末の範囲内。

識別情報を読み取れるようになったけれど、情報を書き込めるようになったわけではないし、また、情報がネットで共有されているわけでもありませんでした。

たとえば、模擬店での決済を例に考えると、あるお店の端末で決済処理をしたあと、別のお店の端末で新たな決済処理をしても、前の決済処理の結果が伝わらないので、現在残高が分からず減らせないし、ポイントも継続的に増やせません。

見かけだけ電子マネーの真似はできても、実際のところ電子決済システムを再現できていたわけではないということです。

そこで、今回新たに開発したのが「NumberBank」です。

NumberBank
https://con3.com/numberbank/

Scratchの中上級者であれば「クラウド変数」と呼ばれるものに近いと思っていただければと思います。

本家Scratch3.0の変数作成画面

数字をサーバーに保存するという点では同じですが、NumberBankは、変数というよりも連想配列(Key-Value)と呼ばれるものに近い入れ物です。

もとはPaSoRichで読み込まれたカード識別番号をキーにして数字を紐付け保存することを目的としていたことから、そのような形式になっています。この連想配列(または辞書型配列とも呼ばれています)によって、たくさんのデータを効率的に扱えるのです。

これによって、ようやく電子決済システムをScratch上で再現することが可能になります。

さらにNumberBankは、2つのキーを組み合わせて数字と紐付けるように設計しました。たとえば、私たちの日常では同じおサイフケータイを使うにしても支払い方式を選ぶ場面があります。それと同じで、同じカード識別番号でも違う扱いをしたい場合のために、もう一つキーを組み合わせる造りにしました。

たとえば決済システム、場合によってはポイントシステム、場面が変われば出欠確認にも使うでしょうし、電子スタンプラリーをする場合もあるかも知れない。それら複数の目的にも同じカードが使えるようにできます。

というわけで、Scratch3.0拡張機能であるパソリッチとナンバーバンクが揃いました。これを使った新たなプロジェクトをいろいろ作ってみたいと思います。

ご関心ある方々や、ご協力いただける皆さんへの情報提供の準備もしなければなりませんし、まだまだ改善改良が必要なシステムのため、ご意見やフィードバックを得て修正しなければなりません。

いろいろ教えていただけると幸いです。

何で書くか

読むものが膨大に増えて、読まなければならないものより読まなくていいものを読んでいる時間ばかり過ぎて、書く機会はすっかり押されぎみだ。

このまま書く気力も薄らいでしまっては困るが、気がつけば、何で書くかという状況が激変していたことも、放ったらかしにしていた。

何で書くかという問いは、どんな形で書いたものを残すのかという問いでもある。その組み合わせも多様で、今の自分を落ち着かせられる選択肢はどれかは大問題だ。

昔の自分は、「何で書くか」問題をそれなりに落ち着かせていたように思うが、ここ長いことその問題への対応は崩れて乱れて瓦解していたかもしれない。

昨今はFacebookなどのSNS経由で情報が行き交うことも多く、それらを追いかけることも有意義なのではあるが、そこはどうしても情報の重複や余分が入り込み、途切れもないまま膨らんだかと思えば雲散霧消が繰り返されている。

しかも、ある時期からは「いいね」などのフィードバックや関わり合いの程度にもとづいてタイムラインが積極的に編集されるようになってきた。それがポジティブに働いている面もあれば、ネガティブな効果を生むこともあり、総じて私たちは振り回されている傾向にある。

それはこちらが読む情報に限らず、書く情報の伝わり方にも関わっており、要するに、書いたからといって方々の人々に届いているとは限らないということが当たり前に起こっているのである。

皆がFacebookタイムラインだけに頼っている状態だと、アルゴリズム的な村八分が展開していることに気付かないこともありうるわけだ。

一時期は、書いたものが友達のもとに届き、「いいね」等の反応が得られるという点で何かを書くのにうってつけだと思われたFacebookも、いまやすっかり書いても埋もれるだけの場所になりつつある。

にもかかわらず、Facebookはいまだに多くの時間を奪っていくし、そうしてうつつを抜かしているうちに「何で書くか」問題が混沌としてしまった。

こうした駄文を書く場所として、かつてよりずっと維持しているこのブログは、今でも稼働を続けて、今後も継続していくことになるが、もう少し括りを伴った形で書く手段も欲しいところ。

そうしたニーズに、私たちは何を使って対応しているのだろうか。

日本語ワードプロセッサを使って文書ファイルを作成する方法はかなり古典的だが、仕事ではいまでも当たり前の手段だ。

今では、クラウドサービスと組み合わせたノートツールをつかうことが多いだろうか。以前はEvernoteが絶大な人気を博した時期もあったが、様々なツールの登場によってユーザーも分散していったように見える。

電子メールをメモ代わりに使う(自分宛のメール)というビジネスマン・ティップスも、今ではメッセージサービスがそれにとって替わっている。

また、テキストファイルベースで情報を記録するという人々も少なくない。プログラマ界隈ではマークダウン記法と呼ばれる記録ルールも使われている。

具体的なツールや情報の記録形式を列挙するのは別の機会にしたいが、「何で書くか」問題は、それら細かな選択肢に対する人々の好みも絡むため、実に厄介な問題でもある。

それで、私自身の「何で書くか」問題について、自分自身の対応を再構築しなければならないと考えて、ちょっとした試みをすることにした。

「漸次書籍」という名前の電子書籍プロジェクト。ちょっとずつ書き足す形式の電子書籍である。

言ってしまえば、電子書籍の形をしたブログのようなもの。一冊まるまる書き切らなければならないハードルの高さがない分、取っつきやすいかなという感じである。リハビリがてら始めてみようと思う。

「メーガーの三つの質問」探訪

ロバート・F・メーガー(Robert F. Mager)氏は米国の心理学者であり,インストラクショナル・デザインの分野に多大なる影響と貢献をした人物として知られています。

日本の私たちにとっては「メーガーの三つの質問」の主として知られています。

Where am I going?
 (どこへ行くのか?)
How do I know when I get there?
 (たどりついたかどうかをどうやって知るのか?)
How do I get there?
 (どうやってそこへ行くのか?)

インストラクショナルデザインの道具箱101』(北大路書房)によれば,これらは上から「学習目標」「評価方法」「教授方略」に対応し,あらためて目標設定の重要性と次いで評価,方法を重視しなければならないことを表しています。

実は,このメーガー氏が2020年5月にお亡くなりになっていたようです。

Wikipediaで氏の紹介を見たり,いくつかの追悼文(「In Memoriam: Robert F. Mager, 1923-2020」「RIP Robert F. Mager」)を拝見しながら,ふと,あらためて「メーガーの三つの質問」の出典を確認してみようと思ったのでした。

その探訪の辿り着く先が想定外な場所であることも知らずにです。

先の文献(『…の道具箱』)は,その引用元として…

鈴木克明(2005)「教師のためのインストラクショナルデザイン入門」IMETSフォーラム

を挙げています。

上記の論稿はもともと「鈴木克明(1995)『放送利用からの授業デザイナー入門〜若い先生へのメッセージ〜』財団法人 日本放送教育協会」の内容を修正したものとされています。

そして,鈴木克明氏の論稿が参考文献として掲げているのが…

メージャー,R・F著、小野訳(1974)『教育目標と最終行動〜行動の変化はどのようにして確認されるか〜』 産業行動研究所、p.5

です。これは Robert F. Mager (1962)『Preparing instructional objectives』の邦訳書で,原著は現在でも読み継がれている書物といわれています。残念ながら邦訳は絶版となっています。

そこで,国立国会図書館に所蔵されている『教育目標と最終行動』を閲覧してみることにしました。そして,5頁の序に記されている内容を確認したのです。

(1)教えなければならないことは何か?
(2)それを教え終ったということは,どうしたら分るか?
(3)それを教えるためには,どのような教材と教授法が,もっともすぐれているか?

メージャー, R・F 著,産業行動研究所 訳(1970)『教育目標と最終行動〜行動の変化はどのようにして確認されるか〜』 産業行動研究所,p.5

そこにはまったく異なる表現の質問文が掲載されていました。

邦訳『教育目標と最終行動』には,いくつか版が存在していて,今回参照した1970年版は,鈴木氏が参照した1974年版と異なる可能性もありますが,残念ながら現時点で差異の有無を確認できていません。

さて,この違いはいったいどこから派生したのか?

もし翻訳の過程で派生した違いであるとすれば,原著には冒頭の英語質問文が掲載されているはずです。

そこで,原著『Preparing instructional objectives』を参照してみることにします。日本の図書館でみつけ出すのは難しそうでしたが,インターネット上のデジタルライブラリで原著を閲覧できました。

Robert F. Mager (1962) Preparing instructional objectives

リンク先の画面下の方にある「Full View」をクリックするとかつてGoogleが大学図書館の蔵書をスキャニングする事業で取り込んだものが参照できます。

当該箇所がある「FOREWORD」(序)の頁を参照すると,次のような英語質問文が記載されていました。

1. What is it that we must teach ?
2. How will we know when we have taught it ?
3. What materials and procedures will work best to teach ?

Robert F. Mager (1962) Preparing instructional objectives

邦訳文がもとにしたであろう原文がそのまま掲載されていたのです。

原著『Preparing instructional objectives』にも,いくつかの版があるのは確かですが,それらに違いがあるとは考えにくいでしょう。

ならば,私たちがよく知る3つの英語質問文(Where am I going?/How do I know when I get there?/How do I get there?)が本文側に出てこないかとも思って探してみましたが,見当たりません。

(ちなみに,この書籍自体は,インタラクティブな読書を促す仕掛けが施されている点で大変興味深く,邦訳版の絶版は仕方ないとして,原著が今日でも読み継がれているというのは納得できます。)

こうして調べてみてわかったことは,「メーガーの三つの質問」というのは,原著や邦訳書ではもともと別の表現で提示されたものであり,これを日本の教師(特に当初の目的であった「若い先生」)に向けて噛み砕いて紹介したもの,それが広められたということです。

なぜこのようなアレンジを施したのかは,鈴木先生にお伺いしてみないと真相はわかりませんが,おそらく,原著にしても邦訳書にしても「教える」という立場からの表現がきつ過ぎるからではないかと思われます。

ご承知の通り,インストラクショナル・デザインは学習者中心であり,その学習を支援することに主眼が置かれています。そのような考え方を日本で広めるためには,「教える」という視角の強かった三つの質問文をもっとニュートラルな表現で言い直すべきという判断があったのではないでしょうか。

さて,「メーガーの三つの質問」を訪ねる旅。

この探訪には,もう少しばかり続きがあります。

原著を確認された方はお気づきかも知れませんが,くだんの「序」はメーガー氏が書いたものではありません。終わりの署名は…

John B. GILPIN
Research Associate
Self-instruction Project
Earlham College
Richmond, Indiana

となっており,邦訳書では所属等を省いて「ジョン・B・ギルピン」とカタカナ名だけが付されていました。

ギルピン氏なる人物はいったい何者なのか。原著や邦訳書には記載された以上の言及はありません。文字通り「研究助手」(Research Associate)であったことがわかるだけです。

ネット上にギルピン氏のものらしき論稿「A TAPE RECORDER FOR INSTRUCTIONAL AND OTHER BEHAVIORAL RESEARCH」を発見することはできますが,それ以上の手がかりをみつけることはできませんでした。

とにかく,文献上で考える限り,今回確認できた英語質問文の三つは,メーガー氏本人がしたためたものではないと考えるのが自然です。

では「メーガーの三つの質問」はメーガーの三つの質問ではないのか?

今回の探訪で明らかになった事柄は,私たちが漠然と想像していた形とは異なるものではありましたが,三つの質問が意図していたこと,それをもとに展開している議論が無効になると主張するものではありません。

そもそも「メーガーの三つの質問」という呼称自体に対応する英語はありません。つまりそれは,定式化された定義文や命題文のようなものではなく,ある人物の影響によって波及した捉え方や考え方だということです。

メーガー氏が直接表記したものではないが,メーガー氏の意をくみ取った助手のギルピン氏によって書き表され,鈴木氏が日本の教師にインストラクショナル・デザインを伝えるのに必要なアレンジを加えて紹介したもの。それが「メーガーの三つの質問」として広まった,のだといえます。

「メーガーの三つの質問」もしくは「メーガーの3つの質問」と検索すれば,それに付随する議論などを様々参照することができますので,ご関心のある皆様はどうぞ思索を深めていただければと思います。

思いがけずメーガー氏の訃報に触れ,見慣れた「3つの質問」が原著等でどのように書かれているのか,ふと知りたくなったことから始まった探訪でしたが,私,ボーっと生きてました。

講義等で「3つの質問」の逸話を紹介するときなどにお使いください。

〈追記 20222117〉

まさかの続編へ

「メーガーの三つの質問」再訪
https://www.con3.com/rinlab/?p=6101

最近の国立国会図書館

この御時世に…とは思うものの,たまたま出張のお仕事を多くいただく年と重なったため,今月も東京出張をしていました。

その一環で,久し振りに国立国会図書館に立ち寄ることになったのです。

国立国会図書館は永田町の国会議事堂の隣に立地した施設。18歳以上であれば利用者登録のうえ誰でも利用することができます。

ただし現在は,感染症拡大予防のため入館制限を行い,事前予約をする方式をとっています。申し込み多数の場合は抽選となります。利用したい週の前週水曜日正午までにインターネットから申し込みが必要です。

申し込み日は複数可能で,私も複数の候補日を申し込みました。めでたく一日分当選しましたので,入館できた次第です。

普段は本館と新館の2つの入口があるのですが,現在は本館の入口のみ。

まず指先消毒を行ない,エントランスに設置されたカメラ式検温センサーをクリアした後,仮設受付で予約当選確認を行なう段取りとなっていました。

午後から利用したので,朝の開館待ち状態がどうなっていたのか分かりませんが,おそらく間隔を空けて列に並び,開館と同時に順番に上記の段取りで入館していたのだろうと思います。

マスク着用が必須とはいえ,入館後の利用方法に特別な変化はありません。全体的な座席の減数やカウンターの飛沫防止カーテン設置などは行われています。

入館制限により,館内の雰囲気はゆったりしていますし,貸出や即日複写の受付も集中するタイミングはあるもののスムーズに処理されていました。

思いついたときにふらっと立ち寄れる利便性が制限されているのは残念ですが,今回もあれこれ調べものができてよかった訪問でした。